【公益財団法人勤労青少年躍進会理事長賞】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
勤勉さを追求して
新潟県  ナムスライ バヤンムンフ  27歳

15年前、中学生の私が“Japan”と考えた時、最初に頭の中に浮かんでくるイメージはロボットだった。ロボットが日本人と一緒に住んで、日本人の代わりにほとんどの仕事をして、日本人ってただ遊んでいるだけだと思っていた。私も日本に行って日本人のようにずっと遊びまくっていたいなと憧れていた時期があった。

そんな私が高校卒業後、ありがたいことに日本へ留学することになった。ちょうど8年前。

「一年中自由に遊べる夢をやっと叶えるんだ」と思って大喜だった。日本へ飛び立つ前日「憧れのロボットを目で見れる」ということにドキドキ…

その時、母がこう言った。「日本に行って日本人の勤勉さから良く学んで来いよ。君のような怠け者にとってそれが一番大事だからね」。「勤勉さ」という言葉に初耳の自分がとりあえず「ハイハイ」と返事をした。

来日して日本の大学で4年間、建築を学んだ。大学時代は日本人の学生たちに「将来、何をやるの」とよく聞かれていた。「一年中遊べる仕事をしたい」と本当の気持ちを言えばとてもバカにされると思って何も考えずに「社長になるわ」といつも嘘を言っていた。

母国と違って先進国である日本の学生達はどういう考えを持ち、どんな目標を持っているのかも私にとって関心深いことだった。彼らのほとんどが「給料が少なくても、楽な仕事に就きたい」と言う。楽な仕事を望む僕みたいな怠け者も日本にいるのかと。

大学卒業後、日本の建設会社に現場監督として入社。入社前は現場監督って実際体を動かして作業することなく、なんだか偉そうに腕を組んで職人さんに指示をするというイメージを持っていた。正直、僕の目に「一番楽な仕事」として見えたのだ。

新人の自分が現場に配属された日から熟練の職人さんにいきなり「監督さん」と呼ばれた。あれこれ聞かれたが、さっぱりわからない。偉そうに指示するどころか、逆に職人さんに叱られたり、指示されたりして3ヵ月も経った。コミュニケーションもなかなか上手く取れないまま。入社前の仕事のイメージと現実とのギャップがあまりにも違って、仕事を辞めることまで考えてしまった。一番楽な仕事に就いたつもりだったが何か騙されたような感じがずっと続いていた。

そんなある日、現場事務所の窓から職人たちの働く様子をじっくり見ていた。30度を超える蒸し暑い日。汗でビショビショになったまま、無駄口を一切せずにテキパキと手を動かす姿。しかも、大半が私の両親と同じ世代の50代の方々。心も身体もシャキッと。自分の怠け癖を初めて嘆いて、本気で頑張らなきゃと奮起した瞬間だった。

その日以来仕事を自分なりに頑張れた。職人さんとも元気よく話せるようになった。
「ナムスライ君、今日お前の好きなラーメン屋に行こうか」、「今日飲みに行く?」とか普通に言ってくれるようになったし。。。

私は毎日、たくさんの職人と出会う。出会いは宝物。大事な仕事への取り組み方、態度を教えてくれたから。刺激を受けて一歩一歩成長できたから。あの時、仕事を辞めなくて良かった思うから。彼らが流した汗のお陰で私たちは地震大国日本に安心して住むことができているから。その名も無き職人たちに、その出会いに感謝している。

雨の日も、雪の日も、猛暑日もテキパキと仕事をこなす職人たちの姿。これこそ、日々の仕事からの喜びと仕事への熱意を見つけさせてくれた。というか、仕事から「楽」ばかり追求していた自分が「楽しさ」を見つけ出せた。また母が言う「勤勉さ」とは、その意義の如何にかかわらず、「どんな時も目の前の仕事に一生懸命に取り組める力だ」ということを教えてくれた。

勤勉さのお陰で日本はここまでの繁栄を手に入れたのではないかと思う。だから、日本人の勤勉さを心の中に残しておきたい。今は、母に「勤勉さを学んだよ」と自信を持って言えないが、学ぶために仕事を頑張り続けたい。

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