【入選】
え、あれだけ働いてこれだけ…?
数字を見て私は愕然とした。大学の奨学金申請書類の記入の際、私は初めて父の収入を目にした。稼ぎが多くないのは分かっていたが、ここまでとは、というのが正直な感想だった。もちろん、私は学生で決まった収入もないし、親が必死で働いてくれた成果についてああだこうだ言う権利はない。そんなことは言ってはいけないことだと思っている。だが、父親の労働環境を鑑みると、衝撃、それも、非難や呆れを含まない、純粋な衝撃が私を襲ったのだ。
広告デザイナーの父は一日中職場にこもって昼夜逆転の生活を送っていた。
丸一日かかった仕事でも、1つの案件で稼げる額は微々たるものだと彼は言う。おまけに何回も何回も修正が入り、朝4時でも夜12時でも関係なく電話は鳴るしFAXは届く。めったに弱音を吐かない父が、また徹夜やわ、修正12回目や、などとふと呟くと、不安や心配を通り越して、私は悲しくなっていた。父はストレスを抱え、何度も体を壊し、病院通いをするようになった。仕事を減らして、無理ならもう仕事をやめて、という母と私の懇願も聞き入れず、彼はひたすら仕事場にこもった。
なぜ収入の少ないこの仕事にこだわるのか。私は不思議で仕方がなかった。他の仕事をした方が儲かる、バイトでさえもっと稼げるかもしれない、というのは、私も母も認識していた。そして父もわかっていたようだ。確かに、ずっと続けてきた仕事には愛着があるだろうし、30年以上デザイン一本で勝負してきた彼が違う仕事にいきなり就くのは難しいのはわかる。でも、なぜこんなにもボロボロになってまでこの仕事を続けるの?
そう強く思い始めた矢先。父は肺がんだと診断された。今は入退院を繰り返す生活を余儀なくされている。
私が物心ついた時から父は一日中仕事をしていた。ヨレヨレでへろへろな様子で仕事場に座る姿からは想像もつかないが、父は以前勤めていた会社では突出した力のあるグラフィックデザイナーだったらしい。腕を上げて独立し、自営業になった。しかし、不景気による広告業の衰退や作業の機械化で広告デザイン業界は苦しみ、父の仕事も、キツいが収入が得にくいものになって今に至る。
親の職業の話になった時、私は、父を、グラフィックデザイナーだと紹介するのが好きだった。かっこよさそうな仕事についている父が誇りだった。グラフィックデザイナー、という響きが好きだった。
だが彼は言った。今の僕はそんなかっこいいものではない。ただ、広告のデザインをしている、と言ってくれ、と。そう聞いた時、私の中の、「かっこいいグラフィックデザイナー像」は崩れた。
キツい、収入が少ない、かっこよくない、おまけに病気になる程ぼろぼろになって、どうしてそこまでして続けてきたの?
お見舞いに行ったとき、勇気を持って聞いてみた。
「楽しいねん。好きやねん。」
思ってもない答えだった。好き。楽しい。モチベーションとなる一番大きな想いだ。だが、私はその純粋な思いを、知らぬ間に見失っていた。
楽しい仕事がしたい、自分の好きな仕事がしたい、給料は低くてもいい、というのは贅沢な話であり、そんな甘い考えがまかり通る世の中ではないだろう。だが、好き、楽しい、というその想いは、一番見失ってはならないものなのではないか。狭い仕事場からオシャレなチラシを世に送り出し続けている父をみて、私はそう思う。収入が少なくても、仕事内容がかっこよくなくても、好きという想いで激務をこなしてきた父は、今、最高にかっこいい。私の誇りである。また、同時に、私自身も、お金、地位や名誉だけで仕事を選びたくはないと強く思うようになった。
父の病気は必ず治る。大好きな仕事が待っている。好きなことがある人は強い。父は必ず、仕事場に戻ってくる。そしてこの先もずっと、かっこいいグラフィックデザイナーであり続けるだろう。