【入選】
私は、小学校の教員として働き始めて今年で3年目になる。仕事にも慣れ、子どもたちも懐いてくれ、大きなトラブルもなく、なんとか順調に毎日子どもたちと楽しく過ごしている。夏休みを目前にふと、一昨年のことを思い出した。
新任教員として、毎日が何かに追われ疲れ切って、学校を出て自転車を漕ぎ帰宅する途中でいつも同じ言葉が頭をよぎっていた。なんのために毎日働くのか。子どもたちに勉強を教えるため、子どもがすきだから、将来の夢だったから、生活費を稼ぐためなどなど色々な理由はある。しかし、本当にそのためだけなのかと自分に問いかけてみるとそうでない気がした。
大学生の頃、私はカンボジアに計5回行き、教育制度を学んだり、小学生に授業をしたり、現地の結婚式に参加したり、孤児院で子どもたちと1週間衣食住を共にしたりした。そんな経験を通して、小学校教員になったら絶対にカンボジアでの経験を子どもたちに話したり、カンボジアと日本の子どもたちでなんらかの形で交流させたいと思った。そう、カンボジアに魅せられた私にしかできないオリジナル授業を。そんな強い想いを胸に、教員1年目を迎えた。
そんな想いを持つ私とは裏腹に現実は甘くなかった。連日の保護者対応、大人に反抗したい子どもからの暴言、気持ちが言葉で表現できず手が出る子ども、終わらない雑務、そして帰宅してからも教材作りなどで毎晩深夜2時にやっと寝れる日々。そんな多忙感の中で学生時代にやりたかった授業なんてできるわけはなかったのだ。
そんなクタクタな毎日に耐えきれなくなった私は、第二の故郷、カンボジアで新年を迎えた。そこで、カンボジアで、小学校の教員を目指している学生の友達に再会した。彼女の授業は、枠にとらわれず子どもたちと1日風景の絵を書いたり、いらなくなったものでファッションショーをしたり、自由奔放なスタイル。でも、子どもたちの目はキラキラ輝いていて、意欲的だった。そして、なにより子どもたちに教えている彼女も楽しそうだった。特に、普段は勉強が苦手で目立たない子も生き生きしていて、大人の目から見ても楽しい授業だった。そんな授業を見て、子どもが受けて楽しい授業は、授業する教師がまず楽しんでないと成立しないことを思い出した。果たして、日本で授業をしているとき楽しくできていたか。その頃、毎日何かに追われていて、睡眠不足による疲労感で辛くてキツかった。そんな元気のない授業楽しくないなと反省した。
そんな気づきをし、教員2年目からは私の授業スタイルはがらり変わった。まず、自分自身が授業を楽しむことを心がけた。写真が好きなので自分が撮った写真を教材として使ったり、もちろんカンボジアの写真も見せたりした。そんな中で、先生カンボジア行ったことあるの?と興味を持ってくれる子どももいたので、張り切ってカンボジアについてのオリジナル授業をした。真剣な眼差しで聞いてくれ、感想もしっかりと書いてくれた。子どものなかには、カンボジアの子どもにお手紙を書いた子もいた。地雷は大丈夫ですか?や、日本と同じで笑顔が素敵だねなど思い思いにかいていた。そんな手紙を持って私は再びカンボジアにいった。5年前から知っている子どもたちに手渡すと喜んで、さっそくお返事を書いてくれた。大阪からカンボジアへ。一気に子どもたちの世界広がった。今までは、カンボジアってなに?国なんだといっていた子どもたちも一気に世界地図を見るようになった。子どもたちの中で、確実に世界のどこかの国の子どもから、カンボジアのどこどこ村にすむ◯◯ちゃんなどと実感を伴って理解されるようになった。
将来の夢叶ってよかったねとよく言われるが、私の夢はまだ叶っていない。私の夢は、これからも、自分だけにしかできない授業をしながら、世界は広くて面白いことを伝え、毎日子どもたちと笑いながら楽しく毎日を過ごすことである。