【入選】
28の夏、仕事を失った。トレーニング雑誌を編集する仕事だった。スポーツか書くことに関わる仕事をしたい、と小学生6年生の文集に書いた。就職活動は苦労したけれど、自分が大好きだったことに関わる仕事につけた。
けれど憧れていた仕事と、現実とのギャップは大きかった。常に締め切りに追われ、アイディアを出し続けなければならない。時間がない中でも改善を繰り返さなければ紙媒体に未来はない。必然的に労働時間は長くなり、心身ともに消耗することもあった。それでも自分が手がけた記事が載り、直接読者の方の反応を聞ける喜びは何事にも代えがたかった。
そんな仕事は、ゆるやかに手から離れようとしていた。ある時から手に力が入らないという不調が生じ、5年ほど原因がわからなかった。何度も検査入院をし、ようやく神経疾患である「多発性硬化症」だと言われた時には、症状が両手足に及んでいた。
加えてどうしても仕事の疲れやストレスをコントロールすることができず、症状を悪くしてしまい、結果的に療養のため、半年間の休職をさせてもらうことになった。その療養期間にもなぜか悪化は止まらず、ついには自力で立てなくなってしまった。そんな状況の中で休職の終わりを迎えてしまう。悩んだが、歩くこともままならない状況では今の仕事を続けるのは難しいと思い、退職を決意した。
仕事がきつい時には正直何度も辞めたいと思ったことがある。しかしいざやめるとなると、これまでに仕事で出会った方々の顔が走馬灯のように浮かんできて、何ともやりきれない気分になった。
けれど、今の仕事をやめたからといって全てを失ったわけではない。幸いにも手の指はまだ動いている。動く範囲が少なくても、病院にいても使えるスキルを身に付けたいと考え、入院中にプログラミングの勉強を始めた。また、知人の紹介で、独り身やハンディキャップがある方をサポートする活動との縁をつないでいただいている。私自身、一人暮らしで入退院を繰り返すことは苦労が多かった。けれど多くの方に支えていただいて何とか乗り越えられた。いずれ、この経験を還元させることが目標の一つだ。どんな状況になろうが、仕事をして、生き抜きたいと思う。
入院中には、さまざまな疾患と闘う患者さんと出会うことができた。その中には、望まずして仕事を失
った人もいる。
仕事は社会への貢献と自己実現であると感じる。たとえ身体の一部がなくなったとしても、機能が失われたとしても、志が消えるわけではない。たとえ境遇が厳しくとも働ける環境ができるように、自分自身も尽力していきたいと考えている。