【佳作】
清掃専門の私は、接客業とは何の関係もない。そう思っていた。
シーツ類を持って二階建てのコテージのドアを開けると、途端に強いニオイが鼻を突く。焼き肉臭かったり酒臭かったり、魚のような生臭いニオイが充満していたり……。
ニオイに耐えながら中に入ると、布団が押入れの中にぎゅうぎゅうに詰め込まれていたり、床の上にぐちゃぐちゃに置かれていたりする。押入れの中のものは一旦全て出し、カバーやシーツを交換して収納する。
運が悪いと、二階から一階へ、一階から二階へ布団が移動していることがある。元の場所に収納するため、どっこいしょと布団を抱えて階段を昇り降りする。さらに不運なときには、隣り合うコテージ間で布団が移動していることもある。これも元に戻さなければいけない。最大10セット×18棟の布団を出したり畳んだりまた入れたりするだけでも腰にくるのに、勘弁してくれ。
コテージ清掃のアルバイトを始めたのは、父がそのコテージを運営する万年人手不足のホテルで働いていたからだった。清掃をするのは特に嫌ではなかったので、頼まれるままにアルバイトとして入り、主に布団畳みを任されることになった。
布団畳みは一人か二人で黙々と行なっていく作業だ。かなり体を動かすにも関わらず、退屈でしょうがない。嫌ではないが、やりがいは全く感じなかった。
働き始めてから一年ほど経ち、相変わらず退屈な清掃の仕事も、それなりにこなせるようになってきていた頃だった。チェックアウト時間を過ぎたので、いつものようにシーツ類を持ってコテージに入ると、まだ中にお客様がいた。バタバタと荷物をまとめている。家族連れで、小さい男の子の世話が大変だったようだ。少しして荷造りが終わり、「すみません」と申し訳なさそうに謝るお客様を、「気をつけてお帰りください」と見送った。お客様はやはり申し訳なさそうな、でも少し安心したような表情で、男の子と手を繋いで帰っていった。男の子は「ばいばい」と手を振ってくれた。
後姿を見送りながら、清掃は接客業とは無縁だというのは大きな間違いだったと気づいた。なぜ清掃をするのか、その視点がすっぽりと抜けていたのだ。私は、あの人たちのために清掃をしていたんだ。
わざわざお金を払って泊まりに来るお客様がいる。部屋が汚かったら心底がっかりすることだろう。
私たちは、お客様が快適に過ごせるように清掃をするのだ。
その日から、清掃に対する意識が変わった。布団に髪の毛や埃がついていないか、布団は綺麗に畳まれているかをより入念にチェックし、ハンガーやスリッパをきっちりと並べる。すぐ目につくところはもちろんのこと、細かいところにも気を配ることができるようになっていた。一年間働いて得られなかったやりがいが、このとき確かに芽生えていた。
いくら綺麗にしたところで、特に感謝されることはないだろう。それがお客様にとっては当たり前だからだ。全く手応えがないし、基本的にお客様と会うこともない。だから私はお客様がいるということさえ忘れかけていた。しかし、これはお客様の「当たり前」を守るための仕事だ。観光をしてきてホテルに宿泊し、その日の思い出を楽しく語り合う。そんな体験を壊さないために清掃をする。
たとえ姿が見えずとも、清掃をする私の前には常にお客様がいる。確かにお客様と繋がっている。フロントに立って直接お客様への対応をすることだけが接客ではない。清掃だって接客なのだ。