【佳作】
私は今、大学四年生だが、この大学生活を二度諦めそうになったことがある。
一度目は高校三年生の時。うちは母子家庭だから母は仕事を掛け持ちして私を塾に通わせてくれていた。しかし、大学にかかる受験料や入学金のめどがどうしても立たなかった。私は勉強が好きだった。純粋にもっと勉強がしたかった。何よりも友達と同じように大学生になる生活をしたかった。みんなと違う家庭環境を恨んでもどうしようもないが、私はいわゆる「普通の家庭」に憧れていた。母は常に私の夢や将来を応援してくれていたが、現実はどうしようもないくらい深刻だった。その時は高校の担任の先生が私を県に奨学生として推薦してくださり、なんとか大学入学にこぎつけた。
二度目は大学に入学してすぐのことだ。高校の時の奨学金と伯父からの援助で大学生活を始めた。入学金はまだめどがたってなかったので、入学金の納入猶予を申請していた時だ。期日までにはめどが立つ予定だったが、母が生活が苦しいと貯めてあったのものを残らず使ってしまった。人生で一番絶望した時だったと思う。私もアルバイトをして生活費にしていた。バイト代では入学金を賄えない。払うはずの大金がもうないと知った時はショックだった。誰とも連絡を取らなくなり、心配して実家からかけつけた母をも追い返すほどった。「私の大学生活が終わる」と怖かった。友達もでき、勉強も楽しかった。何より入学金を払わなかったら除籍になって入学したことすらなかったことになるのが怖かった。たくさんの人に助けてもらって進学できたのに、母がめいっぱい喜んでくれていたのにと、考えれば考えるほど苦しかった。ついに母から泣きながら大学を辞めてほしいと言われ、これからどうなるのかと、将来に対する絶望すら感じた。そんな私を救ってくれたのは大学の支援室の人だった。お金を工面する手立てを教えてくださった。今、私がこうして大学生活を送れるのはその人のおかげである。
働くとは何なのだろう。母子家庭は働いても働いても生活は楽にはならない。子供が進学したいと願っても叶えてやれないと涙を流すこともある。私はたくさん奨学金を借りた。大学をでて働き出したら何十年も返し続けなければならない。借りた額が余りにも莫大で返していくことを考えると、いつも泣きそうになる。院への進学を考えているのでよりその額は増えてしまうだろう。
お金がないと勉強をすることを諦めなければならいのか。貧しい人は働くしかないのか。アルバイトをするにおいても、生活費を稼ぐために勉強時間がとれない学生は少なくない。ぐるぐるとしたサイクルから抜けられないのだ。ただ、勉強がしたいだけなのに。
今の私の将来の夢はどんな環境にいる子でも望む子には勉強ができるように支援する大学の先生になること。私も勉強がしたいから大学の先生なのだ。
アルバイトで生活費を稼ぐことも働くこと。お小遣い稼ぎをするのも働くこと。母が死にもの狂いで私を育て上げるために働いたこと。目的がそれぞれあるからこそ、よくわからないと思う。わたしがやりたいことも働くことにつながるし、そうじゃないのかもしれない。いわゆるブラックバイトで働く学生を助けるためにボランティアもしたいし、子供たちに国語力をつけるための教育プログラムを考えたり、文章をかいたり、自分の目で見て考えるために旅をしたりといろんなことに興味がある。アクティブに動くのも夢だ。
何のために働くのか。貧しいから働くのか。死なないために、生きるために働くのか。
アンパンマンのマーチには「なんのために生まれてなにをして生きるのかこたえられないなんてそんなのはいやだ」とある。私はこたえたい。
将来にたいして不安がいっぱいあって、私も奨学金という莫大な借金を背負っているから、不安で押しつぶされそうになるけれど、「人が動く」と書いて「働く」なら、私は自分らしく動いていくために働きたい。