【佳作】
「誰もお前の味方ではないし、敵でもないから」
仕事に関してうまくいかないことがあると、私はたいてい、7つ年上の兄に相談します。
兄は私とよく似た性質で、社会人経験も当然長いため、ほとんどの悩みは彼に話すことで解決するのです。兄が私にくれたアドバイスの中で、この言葉が最も私を重たい気持ちにさせました。
その時私は職場でのコミュニケーションに悩んでいました。平均年齢40才、男性ばかりの職場で私は明らかに「浮いて」いました。私はそれを恐ろしく思っていました。私が何を発言しても場の空気が凍るのです。それを、肌で感じるのです。
「私(わたくし)の祖父は、千葉の田舎で畑を耕しておりまして……」
職場での会話のマナーについては、入社前の厳しいマナー講座で良い評価を受けていたので、自信がありました。加えて、私は大学時代アナウンス研究会に所属していてアナウンサーのような声や態度に自信がありました。もっと言うならば、大企業でアルバイトもしていて、評価は上々でした。自信があったのです。「私ならできる」という奢りがありました。
「お前と話しているとむかつくんだよな、お前は慇懃無礼という言葉を知ってるか?」
直属の上司が、ある日こう言いました。私が必要以上に丁寧に話しすぎている、ということを示すためです。ナーバスになっていた私にとって、これは「お前のことが嫌いだ」という上司の意思表示でした。絶望しました。これまでの人生の中で私は面と向かって嫌悪を示されることがなかったのです。
「全然心を開いてくれないんだよなあ」
これも、職場の人が私を表す時に使う言葉です。
ここに宣言すると、私は一生懸命でした。私なりに一生懸命周りと打ち解けようと思っていました。飲み会での幹事、お酒のサーブ等出来る限りのことをしました。そうして、今度は「そんなに全力で私を愛してってアピールしなくていいから。おじさんたちは大人だからそういうのに皆気づいてしまうんだよ」という言葉を貰いました。こんなに頑張っているのに何故認めてもらえないのかと、私は次第に疲れていきました。そして、静かになっていきました。
そんな中、社会人になって2度目の春が来ました。そうして、ある先輩社員と同じチームに配属されました。以前から職場にいながらも、あまり会話をすることのなかった人でした。
「僕はね、人の事を好きになろうって思うんだ。自分が好きになれば、相手も自分のことを好きになってくれるんだよ」ふと先輩はそんなことを言いました。
一緒に仕事をするうち、私は先輩が大好きになりました。恐らくですが、その先輩も私の事を大好きになってくれました。その日から、会社が楽しくなりました。同じようにして、他の人のことも好きになるようにしました。「下っ端社員としての仕事をきっちりこなす」以外のコミュニケーションを取るようにしたのです。
上司からの評価も上々。みんなが声をかけてくれるようになりました。仕事の出来は、変わらないのに。
今になって思うことは、結局私の仕事内容は、それがたとえ直属の上司であったとしても完全に把握されているわけではないということ。彼らは、私が何をしているかではなく、きっと「どんな態度でいるか」という事のほうをずっと重要視しているのです。何って、当然仕事をしているんだから。
職場の人を1人の人間として意識して、好きになるようにしなければ、だれも「下働きをする新人」以上の興味を私に持ってくれはしないのです。「敵でもなく味方でもない」。だからこそ「愛してほしいから下働きをする私」はいりませんでした。
「じいさんの家でできたトウモロコシが届いたので、会社に持ってきますね」と声をかけると、上司は「職場で歯茎を見せて笑うのは禁止なんだよ。就業規則に書いてあるぞ。」と茶化してきます。
そういう日々の会話と、職場のみんなが大好きだから、私はきっとこれからも頑張れます。