【佳作】
最新の中国の流行語に「生活不止眼前的苟且,還有詩和遠方」(Life is more than the tedium before us; there's also poetry, and the faraway.)という言葉がある。とくに若者に大人気だ。歌詞がロマンチックだからである。多くの若者たちにはこのロマンチックな歌詞と仕事の状況が共鳴する。
この流行語を日本語に翻訳すると「人生とは目先の安逸をむさぼることだけでない。そこには詩もあり、遠方もある」となるだろう。前半の「目先の安逸をむさぼる」の部分は、人生の現状を表現している。他方、後半の「詩」と「遠方」は、人生の理想と希望を表す言葉に違いない。
私はこの流行語の後半部分、すなわち「人生には詩もあり、遠方もある」に同意できるが、前半部分の多くの若者たちが共鳴している「目先の安逸をむさぼること」に対して、じつは疑問を持っている。
なぜ今の生活ないし仕事が「目先の安逸をむさぼる」ような状況になっているのだろうか。私は考えた。多くの若者たちはおそらく、働くことに対する適切な心理を持ち合わせていないからではなかろうか、と。
仕事に対する適切な心理が持てないと、目標と向上心を失うことになりやすい。私自身を振り返ってみると、3年前に居酒屋のアルバイトをやっていた。はじめはやる気満々で、月20万を稼ぐ目標だったが、初めての居酒屋の経験であり、できない仕事が多かったので、お客様と上司から少し苦情を言われて、すぐにやる気がなくなってしまった。
その後、毎回の仕事時間が、どんなに長く感じられたことか。もうこのままではだめだと気づき、ある日、自分の心を調えようと努めた。「この時間は、単にお金を稼ぐためではなく、自分を鍛えるため、そして仕事というものを勉強するため」と自分に暗示をかけてみた。そうしたら何と、苦情を言われても、仕事時間がさほど長く感じなくなったではないか!
日本の電機メーカーであるパナソニックを一代で築き上げた経営の神様、松下幸之助はこう言った。「現在与えられた今の仕事に打ち込めないような心構えでは、どこの職場に変わっても決していい仕事はできない」と。
今や私はこの言葉に共感している。多くの人たちは、就職前に大きな希望を持つが、実際に仕事を始めると毎日繰り返す地味な仕事に飽きてくる。仕事に対する楽しみもだんだん失せ、ついには現在の一部の若者が共感するように「目先の安逸をむさぼる」ような状態になってしまう。逆に、適切な心理を持ち合わせれば、たとえ同じ仕事をしていても、「目先の安逸をむさぼる」ことなく、成長を実感することができる。
ある新聞で読んだ記事にこう書かれていた。「仕事の報酬とは何か?」という質問を何人かに投げかけたら、「それは給料だ」「収入だ」と答える人が多くいたという。一読し、私もその通りと考えた。ところが、ほかの回答をした人もいたというのだ。その回答とは「目に見えない報酬」―具体的には「能力」とか「成長」などであった。自分の考えはそこまで至らず、少し驚いたが、もう一度考えてみると、確かにそうだった。「能力」や「成長」などを蓄積することにより、仕事を楽しみながら、もっと新しい自分が発見できるし、もっと遠くの理想を目指すことができることに気づいた。
そうだったのだ。「人生」の2文字を「仕事」に置き換え、前半を少々書き換えるとこうなる―「仕事において目先の安逸をむさぼるなかれ。そこには詩もあり、遠方もある」。つまり、これが私の答えだ。楽しく仕事をするか、つまらない仕事をやるかは、心の持ちようで大きな違いとなる。ひいては、どちらが充実した人生を送れるか。その答えは言うまでもないだろう。