【佳作】
僕は就職活動を二回した。最初は大学四年時に、二度目は大学院時に。青森で大学生活を営んでいた僕にとって、就職活動は正体不明で縁遠く感じられた。遥か遠方で行われる祭りみたいに他人事であった。しかし事実、就職活動は祭りのように一瞬で過ぎたように思う。
「君は本当にうちで働きたいのかい?」
この言葉を面接で突きつけられたとき、忸怩たる思いが忽ちこみあげた。人事の方は、僕が漫然と就職活動をしていることを見抜いていたのだ。正直に言えば、働きたいと思ったことなんて、人生で一度もなかった。働くことに明確なイメージが持てなかった僕は、志半ばに就職活動を切りあげて大学院進学を決意する。消極的な進路選択だったと今でも思う。
「父親が倒れた」という一報が入ったのは、大学院進学が決まって間もなくの頃だ。父は脳梗塞だった。命に別状はないとのことだったが、直ちに職場復帰することはできない状態である。父が臥せている間、代わりに母が一家の大黒柱となった。「心配しなくていいから、大学院で好きなものを見つければいい」と母は言ったが、僕は酷く自責の念に駆られた。母は介護職に就いており、いつも大変そうに仕事をしていたことが脳裏に焼き付いていたのだ。いつまでも働かずに学生生活を送っていてもいいのだろうか?どうして今まで働くことについて真面目に考えることを放棄していたのか?そんなことを逡巡しながらも明確な答えを見つけることができずに毎日を送った。
ある夏の夜、通学路である畑道を過ぎたとき、僕は思いがけない光景を目の当たりにした。りんご畑が光っていた。工事用点滅灯で光っていたのだ。どこまでも続いていたりんごの木がひとつ残らずごっそりと消えている。辺りに立ちこめていた酸っぱい匂いは工事の土埃にかき消されていた。聞くところによると、そのりんご畑の主人は病気で亡くなり、後継者不足のため更地にしてしまったそうだ。
僕はりんご畑という場所が好きだ。特に夜のりんご畑が好きで、月光に赤黒く照らされた果実たちを見ると僕は無性にどきどきする。日常風景の片隅が消えてしまったことは、僕にとって想像以上の衝撃であった。農業という、こんなに身近にあるものでも無くならないと気づかないということが恐ろしいと感じたのだ。
それから、僕には夢ができた。りんご畑を失くさない社会をつくるという夢だ。人には笑われる夢かもしれない。だが、農家の後継者不足は今や深刻な社会的問題であるのは事実であり、農業を見つめなおす過渡期に差しかかっているのではないかと私は考えた。僕の第二の就職活動はそこから始まる。
二度目も、両親に多くの苦労をかけた。青森から都会で就職活動をするのは、多くのお金と時間を必要とする。父が倒れている中でも、母は「家族のことは気にしないで頑張って。私も仕事頑張るから」とエールをいつも送ってくれた。最終的には希望した企業に内々定をいただくことができた。活字を媒体としたメディアで、農業の実情を人々に発信することのできるマスコミ関連の企業だ。僕が「今まで迷惑を掛けてごめん。これから頑張るから」と内々定を貰ったことを報告すると、意外な返答がきたことが印象的だった。
「あなたが夢を掴んでくれたから私は、これからもっと仕事を頑張ることができる」
常に自分のやりたいことをできるわけではないのが、働くということだ。掴んだ夢も、いつかは自分の満足しないものに変容していくかもしれない。しかし、満足しない自分を変えることができるのは自分しかいない。母は、介護という職の中に「子どもの就職」という夢を重ねて邁進していた。その夢は過去には「子どもの進学」や「自己実現のため」のように常に移ろいできたのだと思う。僕も母のように、夢を叶えるだけでなく夢を発見しながら仕事がしたい。