【佳作】
“医療事務になりたい”と思い立ったのは私が大学3年生の夏だった。就職活動を間近に控え、一般企業への就職が自分には合わない、何をやるのかはわからないがやりたくない、と考えてからようやく自分がやりたいこと、なりたいもののビジョンを明確に迫られた時には既に通信教育の資料請求をし、受講料を入金していた。何も迷うことはなかった。家に届いてからは学校の勉強もしながら自分のペースでの在宅学習、翌年には無事合格。そのまま就職する病院が決まり在学中に入職が決まった。地元の小さな町にある大きな病院。病院の受付をしながら毎日患者様の応対はもちろん、請求業務や資料作成などやることがたくさんある場所だった。私はとにかく「毎日笑顔でいる」をモットーに努めていた。
たくさんの失敗をしたが、笑顔でいることはいつでも自分にとってプラスに働き、ことがスムーズにいくことの方が多かった。地元密着型の雰囲気、毎日患者様との世間話が交わされる受付での風景、患者様に名前を覚えられ可愛がっていただける環境。笑顔でいられるものがそこにはたくさんあった。笑顔でいると自分も周りも楽しいと感じた。3年経つと、毎日楽しいだけだと感じるようになった。入職当初より業務も責任も多いことを感じてはいたが、辛さが感じられず、楽しいだけの日々に何か違和感を覚え、退職を決意した後、上京の道を選んだ。
“病院は一生なくならない”この言葉を自分に言い聞かせ医療事務の勉強に励んでいたこと今でも思い出す。そしてそれと同時に“日本全国どこへでも就職口がある”とも思っていた。だからこそ迷うことなく東京へ行った。すぐに転職先は見つかり総合病院へ。今までのやり方は一変、今までやってきた知識や技術は通用しても、新しい場所での《やり方》や《その場の雰囲気》にはどうしても馴染めなかった。そこでは以前勤めていた病院とは違い、あまりにも患者様の数が多く、名前を覚えるどころか世間話もできないような慌ただしい日々、東京はこんなに人が多いのかと痛感するばかりだった。馴染もうと努力するも体が受け付けなかった。笑顔でいようと努めてはいたものの、心から笑額で仕事することができなくなっていった。1年は続けよう、とただただ《やり過ごす毎日》を《自分らしくない毎日》を経て、次はより近くで患者様との触れ合いを大切にできると思いオフィス街にある小さなクリニックに転職した。しかしそこでも世間話が許されない環境であった。私はどうにかこの状況から逃れたくて、でもやはり対抗策は「笑顔でいる」ことではないかと初心に戻り、笑顔での応対に心掛けた。とにかく雰囲気が良くなるようにといつでもどこでも笑顔でいた。働き始めて1年も経たない頃、家庭の事情でどうしても実家に帰らないといけなくってしまい、退職することになってしまった。特に思い入れのある職場でもない、と割り切っていたにも関わらず、辞める間際に世間話はしたことがないいつもいらっしやる患者様に「お辞めになるんですか?」と初めて声をかけていただいた。その言葉に驚いたが、次の瞬間「いつも良くしていただいてたのですごく残念です。さみしいです。」とのお言葉をいただいたとき、笑顔でいることがこれほどまで大切なのだと実感した。その患者様は次の日、受診の日でもないのにわざわざ菓子折りまで持参され、私の退職を名残惜しそうにされていた。自分のやってきたことは間違いじゃなかったのだと実感した出来事であった。それを機に、毎日笑顔でいることの大切さを確信した今、新しい就職先では毎日笑顔で楽しく仕事ができている。笑顔は最大の化粧。笑顔は最大の武器。笑顔は最大のツール。笑顔は最大の…。働きながらも笑顔でいることの大切さだけは知ってほしい。