【佳作】

【テーマ:仕事を通じて、こんな夢をかなえたい】
夢への一歩
埼玉県  0時  28歳

「夢への一歩」

「近頃は夢のない若者が多い」そんな言葉を耳にする機会が増えたように感じる。そうかと言って、団塊の世代やバブル期を過ごした中高年の大人には、若い頃に夢があったのだろうか?世間一般的にアラサーと言われる私の意見としては、現代の若者には夢がないわけではないと思う。しかしながら、現在の日本は就職氷河期を経て、安定志向の若者が増えたという意見が多いのは確かである。学歴社会が根強く残る日本では、良い大学に入って良い企業に就職することがある意味夢であり、家族と共に安定した生活を送ることを理想としている若者が多い。その中でも仕事を通じて叶えたい夢をもっている若者は少なからずいるのではないかと思う。私の周囲には、夢をもつ学生や研究者がたくさんいることもあり、そう感じているのかもしれない。

私は、この春10年間の大学、大学院生活を経て学生を卒業した。現在は研究員という立場となり、大学で医学研究に携わっている。これまでに研究とはかけ離れた友人から、「いつまで学生をやるつもりなんだ?」と言われる事も多々あった。多くの友人が社会人となり、結婚して子育てに奮闘する中、自分が選んだ大学院の4年間は精神的に参ってしまうこともあったかもしれない。おそらく、私自身がそうであったように、大学院生の多くは悩みをかかえながら研究に没頭しているのではないかと思う。しかしながら、夢を応援してくれる家族や友人に支えられ、私はこの春に博士号を取得し、夢への一歩を踏み出した。そして、年内にはアメリカの大学に留学し、博士研究員として仕事をする予定である。企業への就職や医療従事者として勤務する選択肢がある中で、私はアメリカで研究する道を選んだ。しかしながら、私にとってはアメリカで研究すること以外に選択肢はなかったように思う。私の夢は、研究者を志した昔も今も大きく変わってはいない。以前、某有名大学の先生に、「君たちがなぜ研究しているのか知りたい。」と聞かれたことがある。おそらく、多くの選択肢がある中で友人よりも長く大学に通い、給料をもらうどころか学費を納め、休日も関係なく研究している学生に対して興味があったのかもしれない。多くの学生が自分の知的好奇心を満たしてくれる研究に魅かれて研究していたのを覚えている。そのため、その問いに対する私の答えは他の学生とは少し違っていたかもしれない。

私は、幼少期に祖父を病気で亡くした経験から、研究者になってどんな病気でも治る薬が創りたい、そして世界中の病気で苦しむ人を救いたいと思い、その夢を諦めずに大学に入学した。今思うと恥ずかしくも感じるが、それこそが研究者を志した原点である。大学では様々な視点から学問を学び、未だに治療が困難な疾患が多く存在する事を知った。その頃から疾患の原因や治療法を研究したいと考えるようになった。そして、大学での研究生活を過ごして行くうちに、10年先、20年先も大学の研究室で学生と一緒に研究し、自分が指導した学生を研究者や医療人として社会に送り出したいと思うようになっていた。その理由は、指導教授との出会いがきっかけである。

私が学部生の頃、研究結果が出せずに進学を悩んでいた時期があった。そんな不安を教授に打ち明けたときに言われた言葉がある。「結果が出ないのは君の責任じゃない。研究室の責任だ。結果が出ない時は一緒に知恵を絞って考えよう。君の出したデータを私たちは信じるし、君も私たちを信じて一緒に研究してみないか?」この教授の言葉が、夢へ突き進むために自分の背中を押してくれたと思う。私はこれからアメリカで神経変性疾患の治療法開発の研究を始める。アメリカでは研究者としても人間としても自分を磨き、将来は指導教授のような研究者であり教育者を目指したい。そして、仕事を通じて医学の進歩だけでなく若者の背中を押すことの出来る大人になりたい。

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