【佳作】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
一日八時間の時間制限が仕事への情熱を邪魔する
東京都  木村香織  28歳

「あの電通の新入社員、自殺しやがって」と言う先輩の言葉に私は「ほんとですよね」と応じた。亡くなった方に向ける言葉じゃない、それはわかっているけれど、心からお悔やみを申し上げられるほどお人よしにはなれなかった。

高橋まつりさんの過労死をキッカケに政府が「残業時間の見直し」や「プレミアムフライデー」などいわゆる「働き方改革」を早急に進めている動きに私は戸惑いと憤りを感じている。今までは放任していたのに、人が死んで話題になった途端に騒ぎ出すのかと。

私はテレビの編集の仕事をしている。通常二十四時間交代のシフト制で、一日行ったら、一日休むが基本サイクルだ。プラス週一日の休日が付く。単純計算して月の労働時間は二八八時間、残業時間は一九二時間。仕事内容によって上下することもあるが、普通の会社員に比べたら多い方だ。「ブラック企業じゃないか」と言われることもある。けれども私にその自覚はない。

ものを作るには時間が掛かる。作家や画家、音楽家といったアーティストは一日八時間、週五日制で仕事をしているだろうか。作業に熱中すれば何十時間も続けて作業し続けるだろうし、仕事場を離れたプライベートの時間にだって頭の片隅あって、日常の中にヒラメキを探しているのだろう。

それはテレビ制作やウェブ制作といった制作の仕事も同じではないだろうか。一つ一つは歴史に残るような大作ではないけれども、毎回違うものを作って世に送り出す。人の心を掴むものは何か、日々探している。

そして人の心を掴むものを探しているのは制作業に限ったことではなく、すべての職業に当てはまるのではないだろうか。顧客のニーズにあったサービスを提供する。そこに明確な答えはなく、何十時間も思案を重ねて企画を立て、構成や試験を何度も繰り返して、ようやく新しい製品やサービスが出来上がる。おそらくこの「若者を考えるつどい」に寄せられたエッセイも全て皆の頭の中で何十時間も練りに練られて執筆されたもので、10月8日に行われるイベント「若者を考えるつどい2017」も何か月も前から構成や企画が繊密に行われ、準備が進められているのだろう。

そんな莫大な時間と労力が掛かる仕事に一日八時間といった線引きは必要だろうか。

技術が進歩し、自動化が進むことで人の労働時間が減るのは良いことだ。現在では人工知能の技術が進み、AIロボットが絵を描いたり、曲を作ったりすることが出来るという。さらに技術が進歩すれば、テレビ番組やドラマもAIが編集できる時代が来るかもしれない。

しかしAIロボットは現存するデータを元に作ることしかできない。真に新しいもの、型破りなもの、人の感情を組み込んだものを作り出すのは、やはり人間ではないだろうか。

新しいもの、人の心を掴むものを作る作業の中で、締め切り以外の時間制限は必要ないと思う。集中して作業している時に「はい、八時間経ちました。帰って下さい」と作業を中断させられる、そんな仕事のやり方では効率が悪くなる。せっかく情熱を持って仕事をしているのに、その情熱を邪魔してまでプライベートの時間を確保する必要はない。

もちろん一日八時間、週五日制が最適な職業もあるだろうし、プライベート時間もしっかり確保したいという人もいるだろう。だから全ての職業が一日八時間、週五日制に揃える必要はないと思う。繁忙期にたくさん働いて、後日連休を取るという働き方や、休みが無くても毎日決まった時間に数時間だけ仕事をしたい、そんな働き方があってもいいだろう。その職やその人にあった勤務形態で仕事をする。そのくらい自由が利いてもいいのではないかと私は考えている。ワークライフバランスは「仕事のやりがい」と「私生活の充実」両方が揃わないと実現しないものなのだから。

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