【佳作】
この活動をいつまで続けるのか、いつ辞めるのかも自分次第だった。大学の卒業研究ではじめたこの活動は、他の人から見れば、都会の若者が、素人農業をしているように見えるらしい。まえに関わりのあった人からは、
「まだ、やってたんか。」
と、声をかけられ
僕を始めて見かける方からは、
「なにしてるの?」と、話し掛けられる。
しかし、たいていの人は、車を低速にし、窓越しにこちらをジロジロ見ながら去っていくだけだった。
僕にとっては、卒業研究でやり残したことをしているだけだった。大学を卒業し、就職し、仕事を辞め、また進学し、中退した。そんな経歴のなかでも、この活動だけは続けてきた。毎年、今年で辞めようかという話しがもちあがったが、意地を張り続けてきた。別に悪いことをしている気はない。耕作放棄された土地を綺麗にしていくこの活動に意義を感じていた。また、続けるなかで、自分なりの流儀や、こだわりも生まれてくると尚更、辞める気になれなかった。
ただ、周りの方からは、どこか不憫に思われることが多い。
「若いのに、こんなことして」
と、僕をみかけた方が、おやつを差し出しながら、声をかけてくれる。なんで若者が、こんな山奥で平日の昼間から汗をかいているのか、そんなふうに思っているようだった。
人気の少ない場所ほど、出会うと親密になるもので、新しく活動を始めた場所の前に住むおばあちゃんとは、随分仲よしになった。農家をしていたおばあちゃんからは、いろいろな昔話しや、地域のことを教えて貰った。その話しを聞くほどに、今は、人から不憫に思われる私の仕事は、昔の手仕事に比べれば、随分楽な仕事なのだと思わされる。車もなく、道路さえ整備されてなかった環境での仕事を聞くと、僕の疲れて少し嫌になった気持ちも
「こんなんで、しんどいと思っていたら、いけないな」
と、身が引き締まった。
1か月程通ったその現場も終わろうとしていた頃、いつものように、おばあちゃんと立ち話しをしていると、
「来年、いいのが生えてくるのを、おばあちゃん、毎日祈っとくわな。」
と、僕にむかって本当に手を合わせながら、そう言ってくれた。僕にとっては、ただ自分の好きなことをしているだけなのに、祈ってもらえるなんて、なんだか宗教家にでもなったような気分だったが、そのとき、
「ああ、やって良かったな。見てくれている人もいたんだな。」
と、救われたような気持ちになった。会社に就職し、働く。そういう世界とは異なる日常のなかで、いつもどこか不安を感じていたが、おばあちゃんの一言で、
「好きなことをすればいいんだ。」
そう考えられるようになった。そして自分のなかの迷いもなくなると、周りの目も気にならなくなった。どんな仕事でも一生懸命にやっていれば、やっぱりそれは、社会のなかでも認められるのだということを、おばあちゃんに気づかせてもらった冬だった。