【佳作】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
お金よりも大切な財産
東京都  M  35歳

私が人生で初めてアルバイトを経験したのは大学1年生の時のこと。夏休み期間限定で地元の学童クラブで働いた。学童クラブとは、仕事をしている親御さんの子どもを預かる場所で、小学生用の保育園みたいな所だ。なぜそこでアルバイトをしようと思ったのか。1つは「お小遣いを稼ぐため」もう1つは「子どもと遊ぶのは何となく楽しそうだから」至って普通の応募動機だが、このアルバイトを通してお金や社会経験以上の財産を得ることができた。

当時18才の私は、まだ社会の右も左もわからない状態だった。それに付け加え、一人っ子で甘やかされて育った私は、子どもとどう接していいかさえもわからず完全に受け身であった。そんな私を見て親もバイトが最後まで続けられるかとても不安そうだった。

完全にバイト失格の私だったが、幸いにも子ども達はとてもいい子ばかりで「先生、一緒に遊ぼう」「先生、お弁当、隣で一緒に食べよう」と積極的に声をかけてきてくれた。そればかりか、お弁当の時にフルーツを分けてくれたり、私の似顔絵を描いてくれる子どももいてとてもうれしかった。当初、懸念していた不安や緊張もいつの間にか消え、すっかり子ども達に慕われるまでになった。

そんな楽しい日々もあっという間に過ぎ、ついにバイト最終日が来た。子ども達からたくさんのパワーをもらった私は、「ごめんね。先生らしいことは何もできなくて…」と挨拶をすると、「そんなことないよ。一緒に遊んでくれてありがとう。私、先生のことずっと忘れないよ」というお手紙をもらった。

手紙にはその子供の住所も書いてあった。

早速その住所に手紙を書き、それ以降ずっと文通が続いた。手紙をもらう度に、子どもの字は上達し成長していく様子が伝わってきた。

そしてそれから2年の月日が経ち、私はある演劇の公演に出演することになった。子どもとはあれ以来一度も会っていないが、「もし良かったら演劇の公演観に来てね」と公演の案内を送った。返信が来なかったので期待はしていなかったが、公演終了後にロビーで子どもは手を振って駆けつけて来てくれた。仕事を辞めて2年以上経った今もこうして私のことを覚えてくれていたのだ。私はうれしすぎて涙が止まらなかった。生まれて初めてうれしさの余り号泣したのを今でも鮮明に覚えている。

それからまた10数年の日々が過ぎ子ども達はどんどん成長していった。時代も移り変わり手紙からメールへと連絡手段も変わったが、中学・高校・大学進学・成人式等、人生の節目の時には写真も添えて連絡をくれた。

そして昨年の春、「先生いつもお祝いのメールありがとう。私、4月から看護師さんになることになったよ」という報告と大学の卒業式の写真が添付されたメールをもらった。あんなに小さかった子が、これから立派な社会人になるのだという成長の証を実感した瞬間だった。

先日、子どもが小学校1年生の時に描いた絵を久しぶりにファイルを開けて見た。とても可愛らしい愛嬌たっぷりの絵だった。今でも大切にしまっている私の宝物だ。長い時を経ても途絶えることのない子どもとの絆は私の財産だ。この仕事を通してお金よりも大切な財産を手に入れることができて本当に良かったと思う。

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