ある日、私がこの作文の内容がなかなか思いつかず悩んでいたときに、母親がある会社の社内報の記事を貰ったと言って読んでくれました。そのときは面倒だし適当に聞き流そうと思っていたのですが、母親が読み終えた頃には何か心に刺さるものがありました。
記事の内容は、70代の女性が会社で働いていた頃、初めは素晴らしい業績をあげていたけれどある時病気にかかってしまって、後遺症も残り車いす生活になってしまい、社会で十分活躍できなかったことが悔しくて、今は自分でもできる通訳という仕事を見つけて叶えるために日々コツコツと勉強しているというものでした。
それを聞いた私は、夢も持たずにその場しのぎで生きている自分が馬鹿馬鹿しく思えました。小さい頃は「ファッションデザイナーになりたい!」と立派ないわゆる「将来の夢」を持っていました。しかし今は、「仕事って大変そうで嫌だな」と言っています。そんなことを言ってはいけないというのは分かっているけれど、周りの友達が夢を語っている中で、私は焦りと共に本心なのかそうでないのか自分でも良く分からない言葉を発してしまうのです。
先程の社内報の女性のように、具体的な目標を掲げてそれを叶えるために努力をおこたらず、こつこつと学んでいくのは大変難しいことです。そのことは、きっと皆分かっているでしょう。そして、それをやるかやらないかで今後の人生が大きく変わるのも、分かっていると思います。だからこそ「やらない人間」に埋もれないために努力をしていくことが大事なのだと、社内報を読む母の声を聞きながら強く感じました。
先日、私は音楽が大好きなので、ある音楽雑誌を購入して読んでいました。すると、雑誌の刊行月に発売するCDを一定内の文字数コーナーを見つけ、私が買った好きなアーティストのCDも紹介されていたので読んでみると、私が曲を聴いたときに上手く言葉で表現できずにモヤモヤしていた曲の良さが、限られた文字数の中でリスナーに伝えるべき音源の魅力が、言葉になり、ムダなく述べられていたのです。私はこのコーナーを読んでから改めて曲を聴くと音楽により深みを感じたり、「私が言いたかったのはここだ!」と思えたり、新たな発見があったり……、とても感動しました。決して長くはない文章の中に、まんべんなく内容が詰め込まれていたのです。
そして、私は文章を書くということに少なからず興味を持つようになりました。今までは、人の文章を読むだけでしたが、前述した音楽雑誌に、アーティストのインタビュー記事に葉書で感想を投稿してみたり、文章を読んでいて自分だったらこう表現するだろうと考えてみたり、本格的なことなんてしてないけれど少しずつ自分が変わってきているように思えます。正直まだ、文章を書くことを将来していこうと決めたわけではありませんが、自分にとっては一つの大きな選択肢になりました。
もしかしたら大人になった私は、今の私からは全く想像もつかないような職に就いているかもしれません。でも、どちらでも「この仕事が好きだ」と思える仕事であってほしいですし、はたらくということは大変だけれどそれ以上のやりがいを感じられる仕事であってほしい。自分に合った仕事を見つけて、常に向上心を持って努力ができる人間でいたいと思っています。