【努力賞】
【テーマ:仕事を通じて、こんな夢をかなえたい】
国を繋ぐ島のくくる
沖縄県  マックブライド  18歳

『動ける人が少ないから、なかなかうまくいかないさーね』

久しぶりに聞いた沖縄なまりは私の胸に強く響いた。

私は10か月間、高校生の交換留学生としてアメリカのテキサス州に10か月間滞在していた。日本人と会う機会が全くと言って良いほどないなかで、私が唯一出会えた日本人は私の出身である沖縄県の県人会の人々だ。なぜ出会えたかというと、地元テキサスで開かれるジャパンフェスティバルのボランティアに私が応募したからである。ボランティア内容は、昔の沖縄である、琉球の歴史を再現したパレードの一員となるというものだった。

私は日本の恋しさと興味本位だけで参加したのだったが、フェスティバル当日、私が目にしたのは目をみはる光景だった。7人ほどの沖縄県人会のスタッフで30人分の衣装、メイク、踊りの準備を全てこなしていたのだ。見ていると、私たちの衣装をセットで一人一人に渡し、メイクや髪型を分業して行うなど全てに工夫が凝らされていた。そうして行ったパレードにアメリカの人々はとても感銘を受けていた。洗練された柄の琉球の衣装やゆっくりと踊る舞踊は現地の人々にはとても魅力的だったようだ。私はその時、沖縄の人々が実際に文化を広めている瞬間を目の当たりにし、胸がいっぱいになったことを覚えている。今、私が沖縄の文化に触れられるのはこういった方達の努力があるからなのだ。

そしてフェスティバル後に伺うことができた、県人会の方々の話は私の働き方の概念を変えた。まず驚いたことは、県人会の方々は皆、自分自身の家庭や追求する道があるにもかかわらず、利益なしで活躍しているということだ。アメリカで活躍するデザイナーのれいこさん、地元テキサスの大学で社会学を学ぶマサさん、現地で家庭を持ち、娘を育てるともえさんなどバックグラウンドは様々だ。何千キロと離れ沖縄から離れた場所でも、彼らは沖縄のくくる(=方言で心)を忘れていない。

またともえさんは私にパレードの背景を語ってくれた。継続的に自由に動ける人が限られて大変だということ、沖縄からの舞踊団体を呼ぶための資金集めが必要だったことなど、パレードの実現のためには様々な壁があったそうだ。そう話しながら笑うともえさんの眼差しは情熱を持った強いものだった。

県人会の方々と出会い、私が学んだ『働き方』とは、働く=職業ではないということだ。今までの私は自分が将来やりたいことを職業として1つに定めようとしていた。しかし情熱を持ちできることがあるならば、利益を得ないとしても、1つに絞る必要はないのだと気付かされた。そしていま私が目指す『働き方』とは、自分のためだけではなく誰かのために、また、誇りを持って働くことだ。そしていつか県人会の方たちのように、島の心を忘れず、働くことのかっこよさを証明できる人間になりたい。

戻る