私は今現在、祖父が代表理事を務める農事組合法人でバイトしている。しかし、この「バイト」という言葉はこの組織の中で使うには違和感がある。何故かというと、代表の祖父も、トラクターに乗るおじさんも、注文を受けてからお米をつく(精米すること)おばさんもみんな同じ時給で働いているからだ。この組合は、代表理事も役員も、肩書のないヒラの私も含めて給与面ではみんな平等である。オマケに昼食は全員で集まって近所の中華料理屋で食べさせてくれる。現在大学3年生で大した社会経験もない私だが、この組織は少し変わっていると理解している。だが不思議と、この組織ではそれが当たり前となっている。
それと、もっと不思議なことがある。この組合には「勤務シフト」という仕組みも概念も存在しない。
だがそれで組織は成り立っているし、田んぼに植えられた稲も育っている。
シフトもない、全員バイト状態のこの組織が回る動因は何だろうか。
私はこの組織で働き始めたのは高校2年の時だった。バイトをしようと考えていると、母に「じいちゃんの所で働けばいいやん」と言われ、半ば強制的に働くことになった。コネ採用みたいで最初は嫌だったが、聞くと、派遣社員の母と同じ時給をくれるという。岐阜の高校生が働く時給として破格である。私は素直にコネ採用を受けることにした。他に働く人は皆、会社を定年退職した60歳越えのおじいさんおばあさんである。
祖父が私に最初に回した仕事は、データ分析だった。全国の農家の優秀なお米の成分がまとめられた紙資料を渡され、これをエクセルに入力し、傾向をグラフにまとめてくれということだった。私が商業高校の情報科で学んでいたためパソコンを使った処理が得意だと思ったのだろう。とりあえず私は言われた通りにやってみることにしたが、3日目で挫折した。千件以上のデータを手で打ち込むのが嫌になった。面倒くさがりの私はどうにかこれをラクして解決できないかと考え、学校の授業を思い出した。OCRという紙に書かれた文字をスキャナーで読み込み、パソコンに落とし込む技術があると先生が言っていたことを。ネットで調べるとソフトは高くなかったので、事務所のパソコン管理をしているおっちゃんと祖父に“おねだり”してみた。二つ返事で許可が下りた。結果、任された仕事もすぐに片付いた。他愛もないが私が初めて「システム導入」を成功させた瞬間である。
一緒に働く人たちをみていると、こういった場面が積み重なってこの組織が成り立っていることがわかる。大手電機メーカーに勤務していたパソコン通がHPを作りネットで顧客を増やす。町のお祭りで屋台を出すことになると、ガス会社でガスボンベを取り扱っていた人がガスの準備をする。トラクターで田と田の境の塀をぶつけて壊せば、元左官屋の職人さんがあっという間に修復してしまう。定年退職後にただボッーと生きるのではなく、会社で磨いた技術を農業の現場で発揮できる環境をこの組織は提供しているから、自然と人が集まるのだ。
私はこの動因を表すのにふさわしい言葉を知っている。「ゆとり」という言葉である。
私達ゆとり世代は「ゆとり」という言葉に嫌悪感を持っていてその言葉自体と向き合うことすら嫌だが、私よりも何世代も上の人たちが「ゆとり」を体現しているのをみて、少しほっとした。この組織は、定年退職後の人間だからこそ持つ「ゆとり」によって成り立っている。
これから梅雨が明け、夏が始まると地獄の畦草刈りが待っている。秋には待ちに待ったお米の収穫が、冬には大豆が待っている。そして年が明けると、リクルートスーツを着る春がやってくる。まだどんな職種に就くか決めていないが、心に「ゆとり」を持つことは忘れないでいようと思う。