働く上でお金が発生しているのは誰しも自然と理解している。理由は雇われる時対価をこれだけ支払いますよ、と示されるから。又は対価がお金であることを確認して働くから。
しかし、人と接する上で人の心も動かしているということは、同じ見えていないものでも理解していない人が沢山いる。
例えば近所のコンビニ。例えば少し贅沢をして外食先のレストラン。何とは無しに立ち寄ったブティック。
人に見られる仕事をしているからだろうか。そこで働く人を「見て」しまう。じっと見つめるのではなく、心の中で“この人は一体何を思いながら働くのだろうか”と考えながら。
ある人はあくびを噛み殺したような顔で、
ある人は機械的な動作で、
またある人は朗らかに丁寧な動作で「働く」。
バイトだから社員だから、建前を並べて言い訳をする人はだいたい仕事に真心を込めていない。何かあったときの逃げ道を確保して、いざというときの責任逃れをする。
私が感動した働き方をする人の話をしたい。
本人に許可を取ったので名前を挙げる。
その人は川島さんという。かれこれ二年お世話になっている美容師さんだ。
川島さんとお会いするまでは今まで男の美容師というと話しかけにくくて、荒っぽい印象があった。
さかのぼること二年前、どうしても前髪が長くなり過ぎて、急遽立ち寄った美容院に川島さんがいた。
川島さんの特徴は、人を明るい気持ちにさせるとっておきの「笑顔」の持ち主だと思っている。私の職場にも“笑顔は一円もかからない最高のお洒落です”という言葉が掲げてあるが、まさにそうだと思う。
「こんにちは、今日はいかがなさいましたか?」という言葉と共に添えられた笑顔に、一種のときめきを感じた。
以来ご縁があって、川島さんに髪の毛をずっと担当して頂いている。
綺麗にしてもらえたら満足だった私は、美容院をコロコロ変えていたし、誰にやってもらいたいなどと考えることも正直無かった。
けれど、川島さんは真剣に私の髪のことを考えてくださる。アバウトな要望にも怒らず、完璧に仕上げてくださる「魔法使い」のような存在。川島さんは美容師の鑑と言っても過言ではない。
いつもわがままにアレがしたい、コレは嫌と髪に対して注文の多い私に嫌な顔一つ見せず、むしろ明るい笑顔で終始お話ししてくださる。
二年前のクリスマス、プロのお手本を見た瞬間だった。
私は私で、バスガイドとして毎日沢山の人と出会って限られた時間と、安くないお金を「いただいて」お仕事をしている。
最初は学生バイトの延長のような気持ちでやっていたが、いい出会いもあれば悔しい出来事もあり、本当にたくさんの事が二年間で起こった。3年目になってようやく気づいた。
私は人と接しているだけでなく、人が持つ「心」と接していることを。
最近お仕事で出させていただいたツアーに、入社したて以来お会いするお客様がいた。
ツアー中に温かいお声をかけてくださってそれだけでも飛び跳ねるくらい嬉しかったのに、その方は会社を通じお礼の電話をくださった。
「1年目の時から明るくていい感じの子だと思っていたけれど・・・・・・成長したね。久しぶりにこんなに楽しい旅行が出来ました」
正直、涙が出た。いつも楽しくやれているかと言われると首を傾げてしまうような私が、認めてもらえた。私がさせていただいた仕事が、初めてお金ではない対価を生み出した。
「感謝」という対価。これは見返りを貰いたいが故にがむしゃらになったところで頂けるものではない。
疲れてうまく笑えない時、川島さんとの出会いを思い出す。人の心を動かすのは、実際誰にでもできることではない。とても難しく、オーバーに言うなら奇跡に等しい。
「根性だよね。負けたくなかった」大変な仕事を長く続けている川島さんの言葉は重い。
私も仕事を通じて人の記憶の片隅にでも、一瞬でもいいから残るような人間でいたい。花がほころぶような笑顔で、今日も、明日も歩んでいく。