働きたくない、と、まさか自分がそう思うことになるとは、いつの私が想像できただろうか。もっと正しく言えば、会社勤めをしたくない、である。
大学四年生を目前にした3月1日、企業の募集要項がいっせいに開示された。「情報解禁」と言われるそれに、就活生となった私もうまく乗っかった。乗っかることができたと思う。大学で映画の脚本を勉強している私にとって一般企業はもともと視野になく、企業説明会もテレビ局や制作会社に絞って参加していた。
しかし、私は気づいてしまった。というよりは、必死に隠してきた「心の内」みたいなものがドロドロと流れ出してきた、という方が近いかもしれない。ほかの人が熱心にメモをとっている姿も、人事の社員を見つめて質問している姿も、ピンと伸ばした背筋も、全部ぜんぶ、私には重ならなかった。重ねられなかった。
私はここで何をしようとしているんだろう。会社の説明がされている間、ずっとそればかりを考えていた。会社に入ったら入ったで、与えられた仕事はこなすかもしれない。これが今日のノルマですと言われたら、達成できるように頑張るとは思う。けれど、そういう未来に対して、私は熱い視線を送ることも前のめりで質問することもできない。そんな私が志望理由を書いて提出など、できない。
よいスタートを切れたと思ったあの日、私は「心の内」に気づいていながら、それをさらに奥へと押し込んだ。
「小さい頃を思い出すって、大人になることから逃げていたりする証拠なのかな」私が映画の脚本を書いていたとき、入れようとして、やっぱりやめたセリフだ。これは私がずっと思ってきたことで、今でもたまに考える。
私は小さい頃、パン屋さんになりたかった。それからたくさんの夢を渡って、中学生では舞台役者になりたいと言い出し、高校生になると演技系の大学を受験しようと決めた。ところが直前で脚本を勉強すると方向性を変え、現在の大学に進学した。穴に向かって転がるおむすびのように跳ね転げた私の夢だったが、大学では演劇サークルで芝居をやっていたため、自分のやりたいことは続けられていたのだった。
そうして過ごした大学生活。それをいきなり、会社勤めを目的とした生活に変えるなんて、私にはできなかった。それは私がまだ幼稚で、甘くて、大人になることをなめているということなのかもしれない。社会人になるって、少なくともそういう気持ちを押し殺す行為なのかもしれない。
毎日、小さい頃のことを思い出した。保育園の卒園アルバムに「しょうらいのゆめ:ぱんやさん」と書いていた私は、今、「私はかねてより映像制作に興味があり……」とエントリーシートに綴っている。見てくれだけ整えた言葉は薄っぺらくて、今にも消えそうで、とにかく汚かった。「心の内」のほんの一片を切り取るのにも、鍵のついたツイッターアカウントでないといけなかった。
就活の波は、穏やかに見える激流で、濁っていて、苦しかった。しっかり泳げていると思っていたけれど、きっと私は、溺れていた。
働きたくない。会社に入ってやりたいことなんてない。志望動機なんてない。やりたいことは、これじゃない。その思いはどんどん膨れ上がり、必死に隠してきた「心の内」はもう隠しきれなくなった。そんな私の「就活やめる」という一言は、私なりの、働くということへの向き合い方だったのだと思う。言ってみたらすごく楽になったし、これまで以上に将来を考えられるようになった。何より、隠さなくていいよ、と、自分に言ってあげられたみたいで嬉しかった。
こんな話をすることは、社会的には「ゆとり世代の恥さらし」になると思う。けれど、私がこんな話をすることで、別の誰かが声を発せられたらいいなとも思う。働くことは生きること。しかしそれは、会社勤めに限らないだろう?だから言ってみるんだ。
わたし、就活やめました。