私が社会人になって一年が経ちました。仕事をしていく中で、社内外を含め多くの方にお会いしました。そこで気が付いたことがあります。
仕事自体が楽しくて、仕事を目的として働いている方と、生きるための方法として、ある種仕方なしに、働いている方の二通りがある、ということです。
私が出会った多くの方が、後者であるという印象です。私も同じく、後者です。同僚もみな後者でした。同僚と話していても、前者は仕事をしていても楽しいという感じなのでうらやましがっていますが、決してこの二つに優劣があるわけではないと私は思っております。寧ろ、生きるための方法としての仕事で良いと思います。仕事が方法ということは、他に目的があるからです。何かの為に働く、ってとても格好良くないでしょうか?愛する人の為に働く、守りたいもののために働く等々。私もそうありたいものです。
反対に、目的を達成できる状況であれば仕事をしなくてもよいのか、という意見が出てくることが考えられます。私は、その場合は仕事をしなくてもいいと思っています。大事なことは自分が本当にやりたいことを達成することだと考えているからです。しかし、このようなことは机上の空論であることが多いとは認識しています。それに、仕事がいくら方法論だとは言え、目的に付加価値をつけてくれる作用も、もちろんあると思います。平日の仕事を頑張ったからこそ、休日に会う人との時間や好きなことに取り組む時間がより楽しく感じることは、えてしてありますよね。こういうことが方法としての仕事が方法として、より作用する点だと思います。
一方で、仕事は方法として行っているはずなのに、目的を見失っている方も、たまに見受けられます。そのような方は、仕事が目的ではないので、つらいし、目的もわかっていないので、何のために生きているのか、という状態になりがちです。私の知り合いにもそのような中でノイローゼになってしまったり、自殺未遂に至った方もいます。そうならないためにも、「生きる目的探し=休暇」をしっかりとることが大事だと考えています。仮に方法として行っている仕事でうまくいかないことがあっても、目的が崩れているわけではないので、人生全体としてはうまく流れていると考えられます。あくまでも方法なので現在の仕事を辞めてもいいのかもしれません。
私は仕事で退職した年配の方々とお話しする機会が多くあります。そのような方は、皆さん、昔を懐かしんで仕事の話などをするものです。いつもうまくいっているということはあまり考えられません。
局所的にはつらい時期もあったのでしょう。ただ、その先輩方は、目的を見失わなかったからこそ、現在も楽しく生きていらっしゃるのでしょう。私もそのようなおじいさんになりたいとつくづく思います。