夜の大学のキャンパス内で、4年生の女子生徒が6階建ての校舎の屋上から飛び降り、自殺をした。
当時の私は就職活動に苦戦しており、携帯が震えては不採用の通知が届く。「お前は必要ない」と言われているようで自分は価値のない人間なのだと落ち込んだ。もう死んでしまいたいと何度も思った。それでも頑張ろうと校内で友人と夜20時まで面接の練習をしていたとき、いくつものパトカーと救急車のサイレンに気付いた。女子生徒の自殺の理由は、就職活動を苦にした就活自殺だと聞いた。
その年の冬に、私は初めて内定を手に入れた。創業して間もないベンチャー企業であったが、「売り上げよりも人を大切にする」「社員は家族である」という社長の言葉に感銘を受け、不安定な会社はやめろと反対する両親を説得し、企業に入社の意志を伝えた。
入社式を終えた日、ただ一人の同期と「一生懸命働いて、黄金世代と言われるような活躍をしよう」とお酒を飲みかわしながら希望の未来を語り合った。そうして私が配属された店舗では上司と2人だけの閉鎖的な空間で、ただただ惨めな毎日が待っていた。「即戦力を寄越せと言ったのに、どうしてお前のような使えない新卒がくるんだ」と詰め寄られ、長時間怒鳴られた後、辞表を書かされた。その日の午後に小さなミスをした私は、監視カメラの映らない場所に引きずりこまれ殴る蹴るの暴行を受けた。休日は与えない。寝る暇も与えない。さっさと仕事を辞めてしまえ。床に転がる私を見下ろしながら上司は吐き捨てた。夜の0時に仕事を終えるころには終電には間に合わず、毎日新宿のカプセルホテルに泊まり、人ひとりが横たわれる狭いスペースの中で明け方までパソコンで仕事をした。そして2時間ほど仮眠をした後、また怒鳴られ殴られ蹴られるために出勤をする。
宣言された通りに休みは全て返上となり月の労働時間は500時間以上となった。上司からは他の社員との接触を禁止され、私物の携帯と会社のパソコンの履歴を監視されていた。「お前が慕っていた人も、みんなお前のことを悪く言っていたぞ」と何度も聞かされ、それが根も葉もない事だと理解していても、心は少しずつ歪曲していった。「お前は必要ない」と言われ、自分は価値のない人間なのだと認めはじめたが、そのことに対して怒りを覚えたり落ち込んだりするには、心はもう機能しなくなっていた。こうした生活が2か月経った頃、体重は7キロ減り、目の下には深い皺と隈が浮かんでいたが、不思議と体は疲れていなかった。疲労とストレスと睡眠不足で黄土色に変わった顔には血色が戻り、どんなに睡眠をとらなくても動けるようになっている。人体とは不思議なもので、体がSOSを出しても無視し続けると、こんどは疲れることをやめてしまうのだ。ふと、おぼろげに大学の図書館で読んだ育児の本の一節を思い出した。「泣いている赤ちゃんは誰も反応してくれないとわかると、それ以降泣かなくなってしまう」。
電車のホームで、上司が私に自殺をほのめかしたとき、ようやく会社を辞める決意をした。今まで何かを途中でやめたという経験がなかったばかりに、やめ方も逃げ方も知らずじっと耐えていた。だが自殺という言葉を聞いたとき、大学の屋上から飛び降りた女子生徒と、遺体を覆うブルーシートが風ではためく光景が脳裏をよぎり、死にたくないと思った。初めて逃げることを知った。
辞表を提出し、上司が私の顔を見てかけた最後の言葉は「パンダみてぇだな」だった。
会社を辞めて一月後、大手広告会社の女性新卒社員の自殺が全国で取り上げられた。
彼女達はなぜ死ななければならなかったのだろうか。
死ぬほどの思いをして就職活動をし、死ぬほどの思いをして働き、必死に生きた。
泣き声をあげていた私たちは、やがて泣くことをやめ、私は這いつくばりながら逃げ出し、彼女達は人知れず静かに命を絶った。