「お父さん、仕事辞めます」
ある日の食卓でのこと。父はその時勤めていた会社を辞めると私達に言った。母は少し前から事情を知っていたのかただ頷くだけだった。私と妹はその言葉の意味を深く考えなかった。
少しすると、父は学生の私より帰りが早くなり家にいることが多くなった。昼にハローワークで仕事を探しては、家に帰り「なかなかいいところが見つからないんだよなあ。」と言った。父は私と妹に勉強を教えてほしいと頼んだ。父の持ってきた本は一般教養とタイトルのついたもので当時の私達にはピンと来ない内容だったが、一生懸命な父と同じくらい私達も一生懸命になって勉強を教えた。夜は父娘で机を囲むのが日課になった。母は「お父さん頑張ってるんだから絶対うまくいくわよ。頑張れ!」と言って、毎日栄養のある美味しい料理を作っては父を励ました。父が面接試験に落ちて帰ってきた日も母は「気にしない気にしない!次があるから!」と明るく励ました。家族総出で父を支え、転職活動を通して父が成長していくのを子どもながらに感じていた。
父が仕事を辞めて3ヶ月程経った頃、ついに新しい仕事が決まった。これまでの営業職とは違い、父が選んだのは配送業だった。毎日着ていたスーツが動きやすい作業服に変わった。朝9時からの配達に間に合うように、毎朝5時に起きて6時には出発し営業所へ荷物を取りに行く日々。帰りは22時を過ぎることがほとんどで、家に着いてからは伝票を整理し、夕食をとって寝るのは0時。そんな毎日の繰り返しだった。私は今までなかなか聞けずにいたことを父に投げかけてみた。「なんで仕事辞めようと思ったの?」父は笑いながら答えてくれた。
「前の仕事は何となく就職したところで、なかなか興味が湧かなかったんだ。それでも家族のためと思って頑張っていたけど、ある日大きなミスをしたせいで上司からの嫌がらせが始まってね。このままの気持ちで続けてはいけないと思って辞める決心をしたんだよ。お父さんが悪かったんだ、もともと営業の仕事が好きじゃないのに嘘を付き続けていたから。」その後、今の仕事は体力が要るけどお客さんとの世間話が毎日楽しいんだ、と話してくれた。勉強が苦手だと言ったり上司にいじめられたりという、娘から一見かっこ悪いと思われそうな姿を隠さず見せてくれた父をなんだかとても尊敬した。家庭を持つ父にとってどんなに大きな決断だったのだろう。この時やっと、父の発した仕事を辞めるという言葉の重みを感じた。
それから6年後。私は大学を卒業してから2年間フリーターをしていた。やりたい仕事がなかなか見つからなかった。色々なアルバイトを転々とし、働く意味が分からなくなった。先に就職した友達から、なんで早く就職しないのかと聞かれることもたくさんあった。考えても考えても答えが全然見つからず自暴自棄になりかけた時、あの時の父の言葉を思い出した。「自分に嘘をつかない」
人より少し時間はかかったが、人のためになること、人と関わることが好きだと気付いた私は、市役所の職員として就職をすることができた。同僚、上司も含め毎日たくさんの人と接している。色んな人と関わることで自分と考えの違うことが多々あり悩むこともある。しかし、市民と職員が一体となって地域を盛り上げていく仕事が私に合っており、とても楽しい。1つのイベントを成し遂げた後の達成感が気持ち良いのだ。
今年の春、私は社会人4年目を迎え結婚をした。仕事を続けていく中で、私にもこれから家族が増え親という立場になる日が来るだろう。そして、子どもはいずれ自分の人生を自分で選択していく。その時は、父が自分のありのままを示し教えてくれたように、私は自分自身が働くことに正直に向き合っていくことで子どもの将来の道しるべになりたい。仕事に向き合う父の姿が私の道しるべになったように。