午前三時、ブロロロ……と新聞配達のバイクのエンジン音が夜の静寂をやぶる。かつてこの新聞配達の音にどれほど救われただろう
……今日も配達頑張って下さい。そう、顔も知らない新聞配達員さんの安全を願う。
八年前、長男を産んだ頃は毎晩夜が来るのが怖くてたまらなかった。昼夜を問わず泣きじゃくる我が子、授乳の間隔も短く赤ちゃんをあやしている内にどんどんと過ぎてゆく時間、おまけに家事の負担も重くのしかかる。
それでも昼はまだ良かった。夜になると仕事で疲れているからとさっさと布団にもぐりこむ夫を尻目に、いつ眠れるともわからない夜を息子と二人で明かす時、言いようのない孤独と疲労が私を襲った。
一体幾度涙の夜を明かしただろう。そんな私の様子を見かねたのか、ある日父が一本の電話を寄越した。
「大変だと思うけど、頑張りなさい。お父さんも眠らない夜を過ごしている。一人じゃないよ。」
その言葉にはっとした。私の父は新聞販売店の店長をしている。昼間は営業などの外回りをこなし、夜は新聞の折り込み広告を入れる作業や店での待機、人手不足の際には勿論配達もする。どんなに雨が降ろうが雪が降ろうが、愚痴一つこぼさず父は仕事にむかう。
父が敢えて眠れぬ夜ではなく、眠らぬ夜と言ったことも私の心を軽くした。私は今まで夜は寝なければいけないものだと思い込んでいたから、思い通りにいかない生活が苦しくてたまらなかったのだ。
けれど改めて思い返してみると新聞配達だけではなく、コンビニや二十四時間営業のファミリーレストランの店員、工場の夜勤など深夜に働いている人は沢山いる。眠らぬ夜を過ごしているのは、何も私だけではなかったのだ。
以来、泣きじゃくる息子と明かす一夜もさほど苦痛ではなくなった。
午前三時になるときっちり、バイクのエンジン音が聞こえコトリとポストに新聞が届く。その優しい音の響きに、今日も同じ夜空の下で黙々と頑張っている父のことを思う。するとみるみる内に心が軽くなるのだ。
あれから八年になるが、五年前に次男を授かった時も新聞配達の音には随分と心を軽くしてもらった。
感謝に堪えない。
私は現在接客の仕事をしているが、直接的にではなく、間接的に人は人に救われることもある……そのことを知った今、私も誰かの支えになれるような働き方をしたい。その為には親切かつ丁寧な接客を笑顔で行う努力を日々続けていきたいと思う。