【努力賞】
【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
知らない、私へ
東京都  私は私  34歳

普段は始業15分前に職場に着くところを今朝は30分前に着いた。まず「朝当番」の日だから、フロア中のPCとプリンターシュレッダー、空調の電源を入れて回りつつポットのお湯を沸かし、防火扉と会議室の開錠のあと半ば忘れ去られた片隅の観葉植物にも水をあげよう。備え付けの新聞も差し替えたら、一番大事な書類棚の鍵を開けて予約受付簿の束を誰でも取れるよう机の上に広げておく。今日から受付開始のセミナーが4つあるからきっと一日電話対応に追われる、と思うより先にすぐ側の電話が鳴っては切れた。

(申し訳ございません、ご予約は9時から受付いたします)毎回必ず居るのだ、フライングして電話を掛けてまで確実に予約を取ろうとする人が。(恐れ入りますが始業開始前はお電話が繋がらない設定になっております)

という訳で引き続き粛々と勤務開始の準備を行う。そうこうする間に一人、また一人と職場の方が出勤されるので慌ててシフトスケジュールを印刷し所定の場所に貼る。

このお仕事を始めて3ヶ月目。ようやく業務内容を一通り理解した、ような、気がしないこともない…。今まで経験してきた中で最も量も質も問われる職場で、内勤にも関わらず毎日終業時にはヘトヘトになる。退勤後の駅周辺の寄り道はおろか、貴重な休日さえひたすら寝て潰れる。そんな事も珍しくない。

(でも、やりがいは、あるんだよな…)(楽しいと思える瞬間も増えたし。2%から6%位まで増えたかな)(あの頃を思ったら今の状況は本当に有難いなあ)

あの頃と言っても、つい3ヶ月前の事。当時の私はすっかり無職を拗らせていた。大学を卒業以来、好きな分野の仕事に就くも食べられず、ならばと食べられる仕事に就くと人間関係に躓き、心身を壊して退職。かつての同級生達が順調に、堅実にキャリアを積み、プライベートも充実させて一層輝く姿をとても直視できなかった。私は今まで一体何をやってきたのだろう。これから先、一体何ができるというのか。貯金を切り崩し必死に求職活動を行うも一向に実らず、通帳の残高は分かり易く減っていった。自分がどこまでも情けなく恥ずかしく思え、人を避けて生きていた。唯一、平日に足繁く通っていたのが地元の職業紹介施設。そこには年齢も職歴も多様な求職者の方が通い、職業相談やセミナーを受講しながら懸命に就職を目指す姿があった。

(ああ、ここに来ている方々は私だ)(皆さん同じだ、状況は違ってもお仕事に就きたい方がこんなに居るんだ)

自宅には毎日のように不採用の通知と応募書類が返送され、そんな時こそ余計に施設に通った。通勤の代わりではないが、今思えばささやかな意地もあったかもしれない。そうして1年が経とうとする頃、ある求人募集を発見した。事務職、勤務地も近い。配属先は採用後に決定とあるものの中々有難い条件。

応募してみようか。

なんとか書類選考に通るといいな、と思っていたら通った。そして面接後、採用の通知が自宅に届いた。初出勤の日、手渡された辞令の配属先にはこれまで通い詰めた「あの施設」の名前が書かれていた。

さあ、まもなく9時。席に座りお茶を一口、首にIDを掛けメモはいつもより多めに引っ張り出しておこう。始業時間はそのままセミナーの予約受付開始時間。今日は時計の針が指した瞬間、一斉に予約申込の電話が鳴るだろう。そのセミナーはどれも、かつて私が藁にも縋る思いで申し込み受講したもの。

電話を掛けてくるのは求職者の方々。どなたのお顔もお名前も知らない、けれどつい最近までの「私」。

「私『達』」と「あの頃の私」が居てくれて今の私がある。だから今度は私が頑張る番だ。

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