【 一般社団法人 日本勤労青少年団体協議会 会長賞 】
僕は、25歳の一部上場企業の営業マン。給料や休みだとか上場企業という響きに魅力を感じて就職したものの、ただ毎日が過ぎていくだけ。仕事に楽しさも自分の成長も幸せも感じられない。この先、このまま仕事を続けても……こんな人生で良いのだろうか?
そんな悩みを抱えていたある日、近所の公園に出かけた。ぼんやりと眺めていた先に、大きな声を出しながら歩く人や不規則なステップで歩く人、そしてその人達を優しい笑顔で見つめながら楽しそうに歩く人、そんな集団が目に入ってきた。なんとなくその集団が自分と比べて幸せそうに見えた。
小学校に、ひまわり学級なるものがあった。あの集団は、きっとあのクラスの人と同じ知的障害者なんだろう。ところで、一緒にいる人達は、どうして楽しそうなんだろう?障害者のお世話って、大変そうだし、給料だって安いっていうじゃないか?どうして笑顔でいられるんだ?何日もそのことが頭から離れず、思い切って近くの障害者施設へ向かった。そこで対応してくれたのは、父親くらいの年格好の施設長さんだった。僕は、その時の思いを伝え、職員さんの笑顔の理由を聞いてみた。
「どんな仕事でも、上司やお客さん、この仕事のように障害者の人に楽しませてもらおうなんて思っても楽しくないんだよ。大切なのは、自分から楽しむこと。そう思っていれば、必ず楽しいって思える日がやってくる。誰かに依存しちゃダメ、幸せも同じ。自分のあり方次第で変われるものだよ。」
稲妻が走った。これまで楽しもうと思ったことはない。営業していても、お客の為によりも自分の成績・給料の為……上手くいかないことは、すべて周りの責任にしていた。
気がつけば、その施設で働くことに……
働いてみると、確かにきつい・汚い・給料安いの3Kだ。これまで接したことのない知的障害者の人達を前に、こちらの意図も伝わらないし、相手の思いも理解できない。でも、施設長に言われたことだけは、忘れずにいた。
担当した重度の利用者。言葉を理解していないので、思い通りには動いてはくれないし、何を考えているのか理解できない。ご飯もお風呂も、介助が必要だ。そればかりか伝わらない悔しさか悲しさなのか、僕に向かってきて怪我をさせられたこともあった。そんな時でも、楽しもう・楽しもう……、念仏のように心の中で繰り返し、とにかく笑顔でいようと……
あれから3年。介助が必要だった食事も入浴も、何とか一人でできるようになった。言葉は、今でも理解してもらえないけれども、こちらが笑顔でいると、笑顔で返してくれる。失敗して落ち込んだ時には、少し強くて痛いけれども、背中をトントンとしてくれる。きっと彼は、「ドンマイ、楽しもうぜ!」そう言ってくれているに違いない。支えているのは、僕だけじゃない。彼に僕も支えられている。障害者福祉って、相互に支え合う仕事なんだ!
今、毎日楽しいし、成長も感じられる。彼も幸せだと感じてくれているはずだ!
脚色はあるものの主人公は過去の私、施設長は現在の私です。
以前は仕事の意味も幸せの意味も、理解していませんでした。ただ何となく自分の為だけにする仕事が苦しく、そんな時に知的障害者支援の仕事と出会いました。
仕事で得られる報酬は、もちろん給料やステータスもあります。しかし、本当に必要なものは、誰かに役立っているという貢献感だったり、人との繋がりだったりするのではないでしょうか?それを教えてくれた障害者の人達、職場の仲間、そしてこの仕事に感謝します。
これらの経験から仕事を定義するならば、
仕事とは、自分の時間を使い
周りの人に幸せを感じてもらい
自分も幸せを感じること
すべての人が自分の仕事を通じて、幸せを感じられる社会に!
それが私の未来=夢であり、知的障害者支援の仕事を通じて、毎日楽しいと感じ、幸せを感じられる人を一人でも増やしていくことこそ、私の使命です。