【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】
昨年、情報番組を観ていると面白い表現に出会った。“報われない世代” 私たちのような世代は、ひと括りでそのように表現されているようだ。酷いネーミングで苦笑いが出たが、まんざら外れてもいないと感じた。
団塊の世代ジュニアで、教室の中はいつもぎゅうぎゆう詰めだった。大学入試では高い倍率に阻まれ、進学することを諦めて就職をした同級生が多くいた。また、バブルが崩壊してしまった後で、働き口は限られていた。競争、不景気、IT時代の狭間、確かに “報われない世代” なのかもしれない。
例外なく私も、地元の高専を卒業したが就職には苦労をした。あんなに勉強をして入学を果たし、尚且つ5年間の努力が無意味に感じた就職活動だった。アルバイトや契約社員を経験したが、どれもしっくり来なくて長続きしなかった。
極めつけは、地元最大手の電子部品工場の派遣勤務だった。仕事の内容は一日中顕微鏡を覗き、そこから不良品を取り除くという作業だった。2週間の試用期間が設けられていて、ノルマを達成出来なければ解雇されると通告がなされていた。自分では大丈夫だと感じていたが、答えは無情にもNOだった。さすがに落ち込んで、3ヶ月位は何もする気が起きなかった。
そんな時、高専時代の吹奏楽部の後輩であるM子から食事の誘いがあった。久しぶりに会いたかったし、気分転換になればと出向いた。ただ本当のところは、愚痴に耳を傾けてもらい、情けない先輩だと叱責して欲しかったのだと思う。思い出話に花が咲き、上手くいかない状況を愚痴らせてもらった。黙って聞いてくれていたM子。でも、彼女が返してくれた答えが意外だった。
「そんなの当たり前ですよ。先輩が?ずっと椅子に座って仕事?無理ですよ!人には向き不向きがあります。早く分かって良かったじゃないですか。ラッキーですよ」そう言って笑った。そして、こんな風に話を続けてくれた。
当時の吹奏楽部の部員は30人、先輩が部長としてリーダーシップを発揮してくれたから、一人の退部者も出さずに引退することが出来た。朝練も居残り練習も、担当パートじゃないのにずっと付き合ってくれた。些細な変化にも気付いてくれるし、皆がどれだけ頼りにしていたか。
「絶対に人と接する仕事の方が向いてます。客観的って表現あるでしょ? あれ、案外バカにできませんよ。騙されたと思ってチャレンジしてみて下さい」。別れ際、力強いエールを送ってくれた。客観的……自分の長所は何なんだろうと模索していたが、暗闇の中に一筋の光が射した気がした。
訪問介護の仕事を始めて15年になるが背中を押してくれたのはM子の言葉だった。介護の仕事といえば、重労働な上に賃金が安いとイメージを持っている方が大半だと思う。だが、少しずつではあるけれど改善がなされている。そして、何よりも人と接することが楽しい。在職中に介護福祉士とケアマネジャーの資格を取得し、ずっとこの世界で頑張って行く覚悟が出来た。
燈台下暗しという言葉があるが、自分の適性や性格は、分かっているつもりでも分かっていないもの。就職や転職活動においても、客観的意見に耳を傾けることで可能性が広がるのではないだろうか。