【 佳 作 】
「志戸呂の優しい自然の声は、強く主張して来ない。だから、ゆかりから迎えに行ってやらなくちゃ聴こえないよ。さあ、土の声に耳を澄ませて。... ここでね」祖父は轆轤を回しつつ、陶土にまみれた指で私の胸を指した。
遠州七窯、志戸呂焼。私は幼少より祖父に師事し、志戸呂の郷で陶芸と茶道を学んだ。
祖父は遠州流の茶道家で、茶器も作陶した。
志戸呂の陶土は鉄分が多く、堅牢に焼ける為、湿気を寄せ付けない。故に湿気を嫌う茶壺には最適で、志戸呂焼は茶器が主流を占める。
陶芸の工房は緑の大茶園の麓にあった。碧空をかき回す無数の白い防霜プロペラ。周囲の茶草場には秋の七草や、茶席で飾られる青紫の竜胆や、暗紅の吾亦紅の茶花が咲き誇る。
豊かな自然に囲まれた工房で黙々と陶土に触れていると、幼心にも雑念が霧消してゆく。この神聖なひと時が大好きだった。12歳の秋、祖父は陶土をこねながら寂しげに呟いた。
「人は死ぬと、土、水、火、風の四元素のどれかに還ると聞いた。じいちゃんは土に還りたいな。大好きな志戸呂の土に還りたいよ」
急に祖父が遠くに行ってしまいそうな不安に駆られた。私の心中を察したように祖父は私の頭を撫でた。優しく何度も何度も。土に馴染んだ皺だらけの掌の温もりにほっとした。
七度目の窯焼で完成した黄褐色の釉薬の茶壺を祖父は耳に押し当て、徐に瞼を伏せた。
「志戸呂焼は、七度焼。昔、志戸呂焼の名匠が窯で七度も焼いて、名器の壺が誕生した事に由来する。こうして耳を当てると、壺が鳴いているような音が聴こえてきたそうだよ」
「ふ〜ん、おじいちゃん、なんか聴こえる?」
「ああ。大切な、想い出たちの風景の音がね」
懐かし気で愛おしそうな祖父の顔に惹かれ、「私も聴きたい!」とねだったが、「まだ十七のゆかりには聴こえないよ」と一笑に付された。茶壺を慎重に耳に当ててみたが、土の声と同様、茶壺の音もやはり聴こえなかった。
「志戸呂焼のように根気強く七度も焼けば、傑作が生まれる事もある。だからゆかり、本当に好きな事なら諦めずに努力し続けなさい。それがたとえ一つだけではなかったとしても」
私の胸中を見透かす祖父の言葉に驚愕した。
高三の私は進路に迷っていた。京都の大学に行き、茶事や作陶の他に古典文学や伝統文化を学びたいという夢もあった。祖父は諭した。
「志戸呂焼は華美ではない。一見素朴だが、確かな強い存在感を放つ。じいちゃんはゆかりに志戸呂焼の如く謙虚さを忘れず、かつ夢を貪欲に追求し続ける芯の強い心映えの美しい人になって貰いたい。目指すは綺麗寂びだ」
綺麗寂びとは、侘び寂びの精神に美しさや豊かさを加え、調和の美を創造する遠州流茶道の真髄だ。志戸呂焼はまさに綺麗寂びを体現したものだ。志戸呂の土の声も、壺の音も聴こえなかったが、祖父のその言葉は私の胸を強く打ち、心の琴線に触れ、確かに届いた。
調和を重んじ、人に対しても務めに対しても謙虚であれ。だが、自らの人生を豊かに輝かせる為に、夢を実現させるべく貪欲に生きよう。そう決意した私は翌春、京都へ発った。
――10年後の秋、祖父が愛した薄紅の撫子や黄色の女郎花が咲き誇る志戸呂の郷を訪れた。白髪を1本、土へ還す。土に触れると涙が溢れた。志戸呂の土に還った師を想って ...
――幾星霜が過ぎ、私は祖父の志を継ぎ、そしてまた己の夢も叶えた。日中は教壇に立って古典文学を説き、夜は茶室に座して茶の道を教授し、週末は工房で茶器の作陶に励む。
師でもあった祖父の形見の七度焼の茶壺は今も茶室で私を見守り続けている。時折耳に当てるが、未だ何の音も聴かせてはくれない。
いつか綺麗寂びを会得し、志戸呂焼のような深みのある人間になれたら、その時は志戸呂の土の声も、茶壺の音も聴こえる気がする。
だから今日も私は、未来を担う若者達に我が国の美しき文化や誇り高い文学を伝えながら綺麗寂びを追求し続ける。