【 佳 作 】
どんな動物でも、昆虫でも、食べ物を探し生きている。住む場所を作り、子孫を残しながら生きている。はるか昔の文明が発達していない時代は、人の世界もそれが働くことだっただろう。今も食と住に関しては働くことで確保しなければいけない。人も、動物として働くことはそこが欠かせず、生活そして生命の維持に重要なことだろう。
こんな仕事がしたい、こんなやりがいがある、良い給料をもらってこんな生活を送りたいと考えるのは人の働き方の選択があっての考えなのだろう。世の中の仕事は誰かのためになるもの(需要のあるもの)、何か意味のあるものでなければ残っていかないものではないだろうか。私は、この誰かのために何かをするということが、人の美しさであり、人として働くことの最も重要なことではないかと考えている。
冒頭の動物的な働き方になると、自分だけのことを考え、相手から奪うことも行動となりうることだと思う。奪い合うことで自分の身だけ守ろうとすることは、詐欺や戦争にもつながっていく可能性を秘めているのではないだろうか。奪うことではなく、人は誰かに何かを与えられるということを考えられることは、とても大切なことではないだろうか。
人が便利になるために何かを考える、自然が保たれるために何かを考える、人や人以外の生物が生存するために何かを考える、それらに何かを与えられるということは、仕事を通じて人の美しさと存在意義を考えさせてくれている。
最近の日本は、高齢化や少子化、女性の働く機会の増加、未婚の家庭、ニートや生活保護の増加などもあり、考え方や働き方に統一性がなく、とても難しくなっている。昔は、国のためと単純に一生懸命働く人が多かったのかもしれない。そのほうが、命をかける目標をもち、統一感や一体感があり、ひょっとしたら働きがいがあるような気さえしてしまう。現在は自分のことで精いっぱい、あるいは、自分のことだけ考えればよい状況に環境自体もなってきている。それが悪いことではないが、できれば人の持っている、与えるという能力が失われず仕事に価値観を見いだせると幸せではないだろうか。上手くいかなくても、ぶれずにもつことができる、美しい人らしい価値観も必要ではないだろうか。
日本の社会制度は、他人の仕事や、努力で成り立っている。それもとても美しいことではないだろうか。しかし、お互いに支えあっている世の中が崩れようとしてきている。(税を扱う方々には本当に、本気で頑張ってほしいと強く希望する)
知識を与える、技術を与える、教養を与える、喜びを与える、役割を与える、生きがいを与える、与えることが可能なのが人であり、与えられていることを感じることができることも人なのだと思う。自分一人では生きていけない。自然、他者(他の生物)との協力が必要と理解できるならば、与えることを考え、行動する仕事感が必要なのではないだろうか。
支えあい、平和を考える美しい仕事感をもって働く人たちが増えることを願って。