【 佳 作 】
富士山のふもとのホテルで売店係をしている。午後3時から閉店までの遅番パートタイマーである。
ホテル売店はご当地のお土産品からスナック菓子、お酒おつまみ、ちょっとした日用品諸々を扱う。品物の売価はどれも街のコンビニやスーパーより高めな設定だ。それだけにいかにして気持ちよく買ってもらえるかが工夫のしどころになる。買い物する前段階として、売店コーナーに気やすく足を運んでもらえる雰囲気づくりが大切だ。
空間の明るさ清潔さ、ご当地銘菓から使い捨てライター一本まで商品を大切に陳列する等は基本である。最も重要なのはスタッフの心ばえだ。気構えは表情や物腰に現れる。一般の商店のように大声で呼び込みはできないが「あなたを歓迎しますよ」「あなたの存在を認識していますよ」と軽い挨拶や笑顔でさり気なくアピールする。そして、いい意味で「放っておく」のである。
自分で服を買う時などひしひしと感じるが、店員にずっと目を付けられていると商品選びに集中できないし、何か買わなければ悪いだろうか、と余計なプレッシャーにさらされるものだ。そんな店員にはなりたくない。
野生の鳥獣保護の専門家の話に「見ないフリをしながら見守るのが良い」との言葉があり、私は大いに参考にしている。人間だって動物の本能があるのだから、安心して一秒でも長く店内に滞在してもらうのに有効な考え方だと思う。
宿泊施設の売店はフロントに隣接していることが多い。チェックインやアウトの時間帯、フロント周りは手続きする客が居並び混雑する。担当スタッフ達はそちらの応対を優先せねばならず、その他の用件の客まで手が回らない。そんな時売店係もお客の案内をする。
大浴場の利用時間とか、食事会場はどの階だとか、両替えをして欲しい、とか。簡単な要望でも心をこめて誠実に対応すれば、後から「さっきはありがとう」とひょっこり再来店してくれる人もいる。これはうれしい。
利用客は全国各地、世界各国から訪れる。国内では震災や水害を経験し、やっと生活を建て直して旅行のゆとりを得た人もいる。それでもなお被災の傷を心から完全に消し去るのは難しいのだろう。初体面の私にひとしきり災害時の恐怖や不安を語って、ほっとした顔になった九州からの女性客。
「私は現役時代、警視庁にいたんだよ」と経歴を披露する高齢男性。家族や知人に「またその話?」とうるさがられそうな話題でも、耳を傾けてくれる相手が欲しいのだろう。
またある時はアメリカ人と日本人の国際子連れカップル客。まだ若い日本人の妻は、ラウンジで息子を英語であやす夫を遠目に見つつ「子供が日本語も英語も中途半端になってしまいそうで心配で…」と小声で打ち明けた。ママ友には言いにくい悩みなのかもしれない。私はひたすら聞き役になる。
こうしてみるとホテルの売店係の醍醐味はいかに多く商品を売上げるかという以上に、非日常を求めて来るお客の心をいかにくつろがせるかにある。普段周囲の人々の前で口に出せない胸のつかえをひっそりと吐き出して、楽しい旅の思い出に変えてゆく。その手伝いをする売店係は、カウンセラーでありセラピストでもある。その先に「この人からなら…」とお土産を沢山買ってもらえる展開があれば、最高の喜びだ。
品物を売るだけなら誰でもできる。だが同じ人間が同じ品を何度売っても、全く同じ状況であることは決してない。お客の事情や目的は千差万別だ。カウンター越しに金銭のやり取りをする最前線であると共に、お客と心と心のやり取りをする場所、それがホテルの売店だ。私はその自負を持ってやっている。自分の心掛け次第で結果は変わる。
良い思い出を持ち帰ってもらう。
それが誇りであり、究極の目標である。