【 佳 作 】
「被災地へ行こう」
東日本大震災から1年後、私達夫婦は、そう決心し、気仙沼へ越した。
土木設計事務所に勤務していた夫は、その経験を活かし、復興支援の仕事をはじめた。
私も、何かできるはずだ、そう思っていた。
しかし、それまで、フツーに会社勤めをしてきた私には、何の資格も技術もないことに、気づいた。おまけに、二年前に見つかった乳癌の治療の為、体力もない。ボランティアセンターの戸も叩いたが、忙しく動きまわる人達の中、指図されないと、何をしていいのかわからなかった。復興支援どころか、足手まといだ……。仮説住宅の狭い部屋の中に、ひきこもるようになった。
そんな私に、住民の人たちが、声をかけてくれた。
「あんた、ひきこもってねえで、一緒に、じゃがいも掘るべ」
仮説住宅の隅に、みんなで、畑を作って、野菜を育てているのだ。
「ここさ、掘ってみれ」
ヨロヨロとよろけながら、鍬を土に入れる。「あんりま、トーチョーの人の腰は、弱っちいなあ。ろくに働いてねえな」
笑い声が響いた。
「おらたちは、家も畑も、なんもなくなった。でもさ、なくなったら、また、こうやって、みんなで、土を耕せばいいのさ。ひとりじゃできねえことも、みんななら、できるべ」
それから、私は、住民の皆さんに教えてもらいながら、一緒に、畑を耕し、花を育てるようになった。鍬を入れるのは下手だが、草むしりは得意だった。
ひとりだったら「できる」「できない」しかないが、こうして、みんなでやれば「できる」「できない」を互いフォローし合える。
そして「できる」「できない」を、互いに教え合い、学び合うことができるのだ。
ああ、働くということは、こうして、互いを育て、共に未来を創っていくことなのだ。そう思った。
朝市の手伝い、ガレキの片づけ、イベント、あちらこちら、走り回るようになった。
どんな場所でも、探せば自分がやれることが必ず見つかる。肝心なのは、その小さなやれることを見逃さないことだ。それまでの私は、できないのではなく、できることを、見つけようとしなかっただけだったのだ。
そして今度は、熊本地震がおきた。
私たち夫婦は、気仙沼での経験を活かすため、熊本へ行くことになった。
「熊本も、よろしく頼むべ」
気仙沼の人達は、遠く離れた熊本を、自分達と同じ傷ついたふるさとと思いやり、そう言って、私達を送り出してくれた。
どこであっても、すべては、誰かの愛するふるさとだ。共に生きる、ふるさとなのだ。
どこの地で生きようとも、どこの場所で働こうとも、役目がある。すべてのふるさとの人達の思いと共に、共に働き、共にすべてのふるさとの未来を、つくっていこう。
あなたが今日、土に落とした一滴の汗は、やがて未来に咲く花となる。
人知れず、ビルの谷間に落とした悔し涙も、アスファルトを割って咲く、強い強い花になる。