【 佳 作 】
人が人間らしく生きていくために大切なものは何か。このように問いかけられたら皆さんはどう答えるだろう。すぐに思い浮かぶのはお金だが、仕事、家族の絆だといろんな答えが返ってくるに違いない。私には子供が健やかに成長し、家族が安心して暮らせる住まいが最も大切だ。
50年以上前、私が小学生の頃は借家暮らしがごく普通だったが、持ち家に住む同級生も何人かおり、その家に遊びに行ったことがある。子供部屋を持つ友に対して羨む気持ちが湧いたことや、リビングで家族が一緒に過ごすのを見て、このような暮らし方があるのかと子供心にも衝撃を受けたのを覚えている。
私は両親が日々の生活に追われていたこともあって早く手に職を付け自立することを考えていた。工業高校に入学して建築を勉強していたが、いつしか子供の頃の住まいに対する漠然とした思いが、人間らしく生きていくためには住まいが大切だとの思いに変わっていった。高齢者、収入の低い人、みんなが笑顔で暮らせる住まいを作るためにもっと勉強したい。両親を頼ることはできず、学費、生活費は自分で稼ぐ決意をして進学した。アルバイトと勉学の両立は想像以上に大変だったが、この時の学びが夢を実現する礎になった。
在学中に父が亡くなり、母が残るふるさと仙台に戻って地元の自治体で働く道を選んだ。自治体の仕事は様々で自分の希望どおりに仕事を選ぶことはできない。仕事をやめようと思ったことも一度や二度ではない。50歳になった頃、念願の住宅政策に取り組めるポストに就くことができた。周囲からは急ぎすぎと言われたが、自分が考えることは全部やりたい、全力で突っ走った。そんなとき、2011年3月11日、東日本大震災が発災する。道路の啓開、インフラの復旧、食料・燃料の確保、応急仮設住宅の供給、取り組むべきことは山積していた。一方、被害が甚大で被災者の住宅再建は容易ではない。長い時間がかかる。応急仮設住宅の供給を急ぐと同時に、被災者が生活を再建するために安心して暮らせる恒久的な住宅を一刻も早く提供する必要があった。寝食を忘れるという言葉がある。当時の職場はまさにその通りの状況であった。
我が人生は決して近道ではなかった。多くの失敗、挫折もあった。しかし、抱き続けた思いが勉学や仕事の支えとなり、目標となった。そして職業人生最後の場面で震災被災者の住まいの復興を担ったことは私の使命だったと信じている。
子供に将来なりたい職業を聞くと、昔から野球選手、サッカー選手になりたいという子、最近ではテニス選手や将棋、碁の棋士も多いと聞く。憧れの職業ということで子供が夢を持ち努力することは素晴らしいことだ。一方、大学生になってもどんな仕事をしたいか分からず、仕事ではなく、企業を選んで就職する学生も多い。どんな仕事をしたいか、そしてその仕事を通じてどんな夢を実現したいのか、それは他人が与えてくれるものではない。授業と同じように、あるいはスマホで検索すると得られる情報のように簡単に入手できるものではない。ましてや親が与えてくれるものでもない。自分が体験し考えた中から生まれるものだ。ボランティア、スポーツ、アルバイト、旅、あるいは障害を持っている人との出会い、そうした様々な体験の中からしか生まれてこない。これから社会に出ていく若者にはできるだけ多くの体験を積み、そこから仕事を通じて達成したい夢、人が人間らしく生きるために大切なものを見つけてほしいと願う。