【 佳 作 】
今、自分の人生を振り返り、人生とは半分以上の偶然が作り上げる「しりとり」のようなものだと感じる。私は1950年代に生まれ、高校卒業後、就職、24歳で結婚、その後、夫を支える主婦として生きてきた。私の結婚、出産後の仕事は、臨時の給食調理員から始まった。子どもが幼稚園に入園し、これからの自分の仕事を考える上で、資格を目指し勉強をすることを決め、学費の捻出のために臨時の給食調理員となったのである。
その後、給食が委託方式となることが決定し、臨時職員であった私は失業。同時に宅地建物取引主任士の試験に合格し、正社員として社会に出ることになった。不動産は多くの知識が求められる。住宅ローンや相続に関すること、また住宅取得に関する税金など、いくつもの質問をお客様から受けるようになった。
お客様の立場にたった接客ができるよう、資格取得をめざし勉強、行政書士と測量士補を取得した。ちょうどその頃、ワープロ、パソコンが普及し始め、ワープロ教室、パソコン教室に通い、資格を取得した。当時は、細切れの時間を活用していつでもどこでも勉強できるよう、小さなノートを常に持ち歩いた。こうした時間は、次の自分(仕事・生き方・キャリア)を見いだすことになる。
次の私は、大学生になったことである。娘と同じ大学を目指し、運よく合格することができた。大学での生活は新鮮で、意義ある学びの連続であった。入学時、800字のレポートに苦戦していた私は、研究活動への願望を持つようになっていった。
ちょうど、私が大学3年の時、夫は脳梗塞で障害者となった。予想もしなかった人生に落ち込み、私たち家族は医療・福祉の関係者に助けられ過ごすこととなった。同時に、福祉関連の仕事への関心が高まり、大学院修士課程に入学することになる。修士課程修了後、さらに研究活動への探究は続き、博士課程に入学、修了した。現在、非常勤講師として福祉を学ぶ学生とかかわっている。
私は仕事を通して、これからの方向性を学生に教えていただいていると思う。きらきらと輝く未来ある学生の発言は、また私に新たな課題を提示する。このように、自分の仕事・生き方・キャリアは半分以上の偶然と半分の努力によって、つながっていきた。失敗でさえ、無駄なことはひとつもなかった。
仕事を通じてかなえたい夢は、学ぶ環境が整っていない子どもたちへの学習支援にかかわっていくことである。学ぶことの楽しさ、その充実感は、新たな自己の方向性を導く。学びを諦めることなく、半分以上の偶然と半分の努力によって、自らの人生は思わぬ方向に舵を切り、大海原に漕ぎ出していくことを伝えていきたい。
そのためには、できないことを責めるのではなく、できることを誉めることだ。誉めることを通して子どもは、まっすぐに伸びていく。思いもしなかった私の人生と同じように、半分以上の偶然と半分の努力で、自分の人生を切り拓いてもらいたい、と考えている。