【 奨 励 賞 】
昨秋、ずっと診てもらっている総合病院で PETCT を撮った。同検査の最大の長所は、全身のがん検査が短い時間で出来ることだ。20代の頃に悪性リンパ腫を経験した私にとっては、再発の有無と新たながんのチェックは欠かすことが出来ない。
翌週、検査結果を聞くため待合室で自らの名前を呼ばれるのを待っていた。すると何人かの患者さんが、化学療法室とプレートが掲げられた部屋に入って行った。ニット帽に大きめのマスク、高齢の方もいれば自分と似た年齢の方もいる。かつての私がそうであったように、一目でがん患者とわかる風貌だ。
適切でない表現に聞こえるかもしれないが、今のがん患者は恵まれているなぁと思った。以前は入院でしかできなかった治療が、当たり前のように外来で行える時代になったからだ。これだと仕事を辞めずに済むし、当然、高額な治療代や生活費の不安が軽減される。そして、何より大きいのが社会との繋がりを維持出来ることだ。
入院をしていた当時、同じ病棟に私より7つ年上のAさんという男性がいた。Aさんは骨髄異形成症候群という病気で、骨髄移植のドナーが現れるのを待っていた。年齢が近かったこと、更には共に血液疾患と闘っていたことで、挫けそうな時には何度も互いのことを励まし合った。一旦は決まりかけた移植が直前でキャンセルになった際は、かける言葉が見付からずに、ただ泣くことしか出来なかったのを覚えている。
大病になると一番に頭をもたげるのは、後どれ位生きられるのだろうという考えで、その次に浮かぶのが経済面の不安だと思う。患者自身と家族は、どれだけお金と時間がかかっても治ってもらいたいと願っている。しかし、3ヶ月、半年と入院が長引くことによって、患者と家族は心身が疲弊してしまい矛盾した感情に襲われてしまう。
私たちを例に挙げるなら、私は会社員でAさんは従業員を抱える自営業者である点だ。また、独身であった私と、奥さんと子どもがいたAさんの立場も違っていた。
「バイクと車を売ろうと思うんだ……」Aさんから相談を持ち掛けられた時、気の利いた言葉を返すことが出来なかった。夫婦でツーリングが趣味だと聞いていたし、退院をしたら子どもを連れて遠出をする夢を語ってくれていたのだ。
長引く入院生活によって家計が圧迫され、家業は奥さんに任せる以外になく、苦渋の決断をせざるを得なかった実情があった。無論、それらを売ってお金を作っても闘病の終わりは見えない。事実、Aさんは1年半の闘病の末に亡くなった。こんなの自己責任で片づけて良い話ではない。
会社員はある程度会社が守ってくれるが、自営業者は様々な保障がないので大変だ。私はそんなことを訴えたいのではなく、若年層に対しての病気や怪我に対する支援体制の遅れだ。
AYA世代、こんな言葉を聞いたことがないだろうか。15〜40歳のがん患者を指し示す言葉だ。この10年ほどで、AYA世代のがん患者が急増している。体力は闘病をする上で強力な武器だが、それとは逆に進行が早く発見が遅れることがある。近くに似た境遇の人がいないことで、孤立を招いて精神疾患を併発させるケースも多い。職場で意に反した異動を余儀なくされ、腫れ物のような扱いを受ける場合もある。
言わずもがな、全ての労働者は財産だ。とりわけAYA世代は、我が国の労働現場を支えている貴重な心臓部だ。検診の啓発、がん発症時の経済的な支援、居住地に関係なく同じレベルの治療を受けられること。これこそが、働き方改革の根っこの部分なのではないだろうか。