【 奨 励 賞 】
「あなたのように就活もしない学生って、今は変人ね」と笑う妻に、私は首を横に振る。
「昔も今も俺みたいなのは少数派さ。もし教員になってなかったら、俺はバーテンダーか長距離のトラッカーになってたな」
学費も生活費も自分で稼ぐ勤労学生としてバイト探しは数えきれないほどしたが、教員採用試験(これとて是が非でも教員になろうとしたわけではなかった。ただ誤解を避けるために補足すると教職に就いてから面白さに目覚め、退職まで夢中に働いた)以外に正規社員になるためのいわゆる就活を私はしたことがないのだ。
学生時代の私には普通に勤め人の生活は全然興味が持てなかった。バイトを通じて知った、本音や弱音がこぼれる酒場や四季の風を受けて走るトラックの方が私の性分には合っているように思えた。
それから幾星霜、学生時代の仲間との還暦祝いの飲み会で。かつて名門のデパートに内定して誇らしげであった友は管理職として断腸の思いで仲間のクビを切ったという。「憧れて入った会社で嫌な仕事をしたよ」と彼は嘆く。
「どんなにきつい仕事でも俺は耐えられる。けれどな、何がきついといって社会の役に立たないつまらない仕事ほどきついものはないぞ。高賃金の魅力を捨てきれず、欠伸をこらえながら定時を待つまでの時間のノロいこと!」と浮かない顔の友。
「家庭を犠牲にしてまで取り組んできたプロジェクトがAIでたった一秒だ。今やライバルは同期じゃなくてAI、休憩もとらず、ヤツは小さいくせにデカい仕事をしやがる」とデジタル化に乗り遅れた友。「安全な任務だが、全然ワクワクドキドキしねぇんだ」と公務員になった友。
さらにはこんな友も。
「仕事一筋できたから退職後が心配でよ。趣味探しがこれからの大仕事だよ」
私達の子供の世代よりも年金や退職金などで恵まれているだろう世代にしてこの愚痴の多さは何としたことかと私は憂鬱な気分になったものだが──。
さらにそれから10年。私は大好きな浦山桐郎監督の映画『キューポラのある街』を懐かしく見返す。
「ダボハゼの子どもはダボハゼだ。中学出たら働くんだぞ」と怒鳴り散らす父親に反抗して定時制高校に進学する少女ジュン、そんな姉に発破をかける新聞配達中の小学生の弟タカユキ……(それが今は高い金払って塾に行かせてもらい、進学できる幸せ。そのくせ、サラリーマンのような疲れた顔の塾帰りの子供達)。
パチンコ屋で先生に隠れて仕事をするジュン。家族を養うために口紅を引いて飲み屋で酔っ払いの相手をせざるを得ない母、職人の誇りを捨てることが出来ず飲んだくれる父、子鳩を育てて金儲けを企む弟、その弟に「お前達が盗んだお蔭で俺は──」と石を投げる牛乳配達の少年(それが今は好きかどうかはともかく仕事を選べること出来る幸せ)。
リストラ、貧困、友情、差別に組合活動への明るい展望、仕事とは何か? 働くとはどういうことか?、この映画の真摯な眼差しこそ私がまともに就活しなかった理由だと言っても分かってもらえるかどうか。
高度経済成長と軌を一にして来た私には「どんなに仕事に就こうが、教会とお寺があり限り飢えることはない」といった奢りと楽観、青空のような明るさがあった。しかし、息子達を見ていて今はそうはいかないだろなという切迫感を持つのだが、どうだろう?