【 奨 励 賞 】
教職に就いてから10年ほど過ぎた頃、私は大きな壁に突き当たっていた。
「このまま学校という閉鎖的な枠の中だけで働いていたのでは、それ以外の世界を知らないまま定年退職を迎えてしまうのではないか」という焦りのようなものが生まれてきたのである。一生を通して学習を続ける生涯学習の視点から考えると、学校教育はそのほんの一部でしかない。社会教育のような学校教育以外の学習は、どうなっているのだろうかということをどうしても知りたくなったのだ。
「学校現場を一時離れて、外から見た客観的に学校教育というものを見てみたい」という希望を、上司である校長に率直に相談した。
校長は、私の話をきちんと聞いてくれ、
「先生の気持ちはよく分かった。出向のような形になるが、学校を3年間休んで、県内の市町村教育委員会に出向き、社会教育などの仕事を支援する制度がある。先生の熱い希望がかなうように、私も頑張るからね」
と温かな励ましの言葉をかけてくれた。
校長の尽力もあり、話はとんとん拍子に進み、私はk町教育委員会に出向することになった。
k町教育委員会に赴任すると、教育長から
「この3年間で、今までにないような社会教育事業を企画し、そして実践してほしい」
という難しい課題を与えられた。
町内の小中学校を訪問したり、文化祭など公民館の事業を手伝ったりしてるうちに、あっという間に1年が過ぎ、教育長に私の企画した事業を説明する日がやってきた。
「この1年間、学校を訪問したり、いろいろな地域の人々の意見を参考にして『学校開放講座』を考えてみました。東中学校と西中学校がある学区ごとに、K町東塾とK町西塾とを作って実施したいと思います。講師は、町内小中学校の先生方にお願いします」
「面白い。私は斬新でいいプランだと思うけど、先生方がうまく協力してくれるかなあ」
「私もそこが一番心配なんです。私自身、学校の忙しさをよく知っているものですから」
腕組をして考え込んでいた教育長が、
「よし、これで行こう」と強い口調で言った。講師の件は、教育長が町内校長会で、丁寧に説明して協力をもらうということになった。
私は、町内各学校を訪問して「学校開放講座(東塾・西塾)」の趣旨を説明し、講師依頼や学習のテーマ設定などをお願いして回るということで教育長の了承を得た。
次の日から学校訪問が始まった。予想はしていたが「子供の指導だけでも一杯なのに、なぜ大人の指導までしなければならないのか」という厳しい意見が、少なからず聞かれた。
しかし、訪問を何回か続けるうちに「これからは高齢化社会で、大人になってからの学習も大切だね」という先生も増えてきて、時間はかかってきたけれど講師の先生は確保できた。
受講者も定員を大幅に超え、いよいよ「学校開放講座」がスタートすることになった。
記念すべき第1回目は東塾が「平成、アメリカ・カナダ見聞記」、西塾は「奥の細道と石巻界隈」と魅力にあふれた内容の講座であった。こうして2回目、3回目も楽しく分かり易い講座で受講生の評判も上々であった。いろいろな苦労はあったが、県内初の「学校開放講座」は成功裏に終了した。講師の先生方からは、「やってよかった」という声が多く聞かれ、受講生全員の熱い要望で、次年度も継続をすることが決まった。これには教育委員長を始め委員会職員全員が感激したものである。
この学校を離れての3年間の経験は、その後の私の教職人生に大きな影響を与えた。
学校の中にだけいたのでは気付かなかった学校教育の良さや、直さなければいけない多くの課題が見えてきたからである。
どんな仕事でも、時には少し距離を置いて、いろいろな角度から客観的にみるということは、その後の自分の仕事を深く理解し、希望をもって意欲的に取り組んでく上でとても大切なことであると思う。