【 奨 励 賞 】
2001年9月、私は生まれて初めて、中国の地を踏んだ。湖北省
湖北汽車(自動車)工業学院。部屋の周囲は山、またやま。学校全体が山を切り開いて建てられているそうだ。
私の仕事は、公選課(一般教養)と倍訓(外語センター日本語班)の大学生に日本語の基礎を教えることだ。
最初は1年経てばさっさと日本へ帰ろう、と決めていたが、何と2年になり、3年も過してしまった。
この3年を支えてくれたのは心優しい学生、学院の先生方、市場の元気なおばちゃん達だった。
あの
2005年、再び上海の同済大学から日本語教師として来て欲しいと声がかかった。今度は日本語課の学生に会話、作文、文化を教えるのである。それを聞いた時、私にはかなえたい夢ができた。学生と日本語で劇を創りたいと思った。
35年間、中学校の演劇部の顧問をやって来て、最後に学生達と日本語で劇が出来たら!これが実現すれば、今までの仕事、最高の終わり方ではないか。
日本語課の学生と言っても、大学に入って初めて日本語を習う者が大半である。入学から半年、中国の先生方に日本語の基礎文法を習って、日本人教師にバトンタッチされる。最初出会った時は、「おはよう」「こんにちは」「さようなら」の挨拶しか出来なかった。
半年、1年、実用的な日本人の生活、例えば「レストランでの注文」「友人との待ち合わせ」「美容院へ行く」「スポーツを観る」等を2人1組で会話の練習を続けた。授業が進むにつれて、日本語が滑らになり動作も自然になって来た。見ている学生も刺激され、全員さらに上達していく。私の夢をかなえる事が現実味をおびて来た。
いよいよ3年生の期末試験、実技テストとして演劇を提案した。グループで本を選び、台本を書き、衣装・配役・道具作り、総てを自分達で工夫し、1ヶ月後に発表すること。
その日から、寮のあかりは遅くまで点くようになった。私がした事は書いて来たシナリオを添削して、励ましただけ。
いよいよ発表の日、舞台となる会場は衣装を身につけた学生たちの不安と熱気に包まれている。一組「西遊記」「裸の王様」「
「西遊記」の悟空が雲に乗って天井に映り、「裸の王様」の仕立やのこすずるさが観客の笑いを誘う。その中でも「
観に来られていた中国の先生方も「あんなに生き生きと楽しそうな学生の姿、初めて!」と口々に興奮して話しておられる。
この劇を成功させるため、夜遅くまで必死でセリフを覚え、動作を皆で考え、道具を工夫した学生達。その結果、クラスが一つにまとまり、絆が結ばれていったことにも気づいたようだ。
私自身も、出かける前は夢をかなえる事に不安があったし、授業の中でもあきらめようと思ったことが何度かあった。が、学生たちの超人的なエネルギーでかなえたい夢がかなえられたことに感謝している。