【 奨 励 賞 】
私は77歳まで働いた
人生100年時代と言う今、定年制度とか定年延長とかも議論されますが、「人が働く理由」と「生きる目的」について、私の体験を通して見詰めて見たいと思います。
私の勤めた会社も今のところ満60歳を定年と取決め、退職する決まりとしております。
私の定年時の体力は、まだまだ働ける力が十分にあるので、定年退職後の過ごし方を考えると継続して勤められる方法がないか、を模索しました。
思い返すと55歳の時でした。
60歳の定年制度を突破する方法を考え、会社が必要とする専門職に徹する決意し、会社に打診したところ、上手い具合に労働安全の大切さに進む時代の波にも乗って、無事に定年の壁を突破でき77歳まで勤務出来たのです。
会社勤めの一般的な考え方は、「雇用契約」で定年まで働くのが普通ですが、私の定年延長後の雇用契約は「1つの仕事毎に契約し、評価して、成績が良ければ次の契約をする方法」を取りました。
即ち、大型建設工事の安全責任者として「工事安全の計画を立て、安全作業を推進させ、完成後の評価する流れ」の繰り返しです。言い換えると、雇われる前に「何を、どれ程出来るか」を契約し、完成後「どれ程出来たか」を評価する繰り返しを77歳まで続けました。
そこで私が考える「仕事とは、どんな事か」と「生きる目的とは」について述べます。
古代インド哲学では、人生を25年毎に区切った生き方を説きますが、生れてから25年を学びの期間、そして勤労と子育ての期間に続いて、人生50年とか言った時代の75歳までの第3の区切りに続く、75歳からの第4の区切りとしておりますが、今の日本の社会制度でも75歳からを後期高齢期と上手い具合に重なっております。
その4つの区切りを意識しながら、私が生きて来た足跡を振り返りますと、全て区切りを深く考えることなく漫然と生きて来た思いで、学業を済ませ会社勤めに入れば本能的に家内と結ばれ、アッと言う間に子育てに追われる30歳・40歳でした。
「何のために働く」など深く考えた事など無い生き方で、定年が見え始める55歳頃、前述の定年突破作戦に取組んだ時が「働く目的」を深く考えた初めての機会と思えます。
つまり「働かねばならない時期」から、「働きたい時期」に変わった時です。
親や兄弟を始め、社会の人の流れの中で過ごした時には無我夢中で生きており、「働く事が生きる事」との意識で、歯を食いしばり生きておりました。つまり現役時代は色々なノルマの中で、成果を目的に働いたのですが、定年で雇用契約から解放せれ、自由人として好きにすれば良い身分になっても、長い期間働く習慣で「働くのをイキガイとした生き方」が身体に沁み込んでいました。
働く事をイキガイにした生き方は、家族を安心させ嬉しいものですし、自己満足も大きいもので、満足感が一人前の人間として育ててくれたように思えます。
考えてみますと、今迄に数々の挫折や行き詰まりを体験しましたが、辛かった昔の出来事は時間経過と共に相当に薄まって、むしろ成功した体験の方が「生きる上での支え」になっております。
よって「何のために働く」は「生きる為に働く」のであって、お金を稼ぐ労働だけでなく、「その時々を生きる力」として必要な行動と思い返します。