【 公益財団法人 日本生産性本部 理事長賞 】
あなたは茶碗にこびりついたご飯粒をどうするだろうか。
私は現在、焼肉店でアルバイトをしている。仕事内容としては七輪を作ったり、お客様の注文を受けたりすることが多いが、時間帯によっては洗い場を担当することもある。その洗い場で最近気になったことがある。それは、皿の上にまだ多くの食材が残されているにもかかわらず、食器が洗い場に出されている光景だ。もちろん、本当に綺麗に食べられている皿も多いが、感覚的にそれと同じくらい、まだ食材が残されたまま下げられた皿も目にする。洗い場の担当はその残った食材をそのままゴミ箱に捨ててから食器を洗い、洗浄機にかける。そのため、特に来客の多い週末はゴミ箱が紙くずやプラスチックゴミだけでなく、捨てられた食材で溢れかえる。仕事終わりの閉店作業でそのような光景を目にするたび心が痛む。そして、そんな食材たちにも、汗水垂らしながら、愛情を込めて育てた人たちがいたのだと思うと、なんとも言い表せない悲しみに苛まされるとともに、ある疑問がふと湧いた。食料廃棄によって引き起こされる問題とはなんだろう、と。
調べてみると、食料廃棄が与える悪影響は簡単に挙げて2つ。生ゴミを燃やすのに多額の税金がかかること。そして生ゴミを燃やしたときに生じる二酸化炭素で地球温暖化が進むこと。人々がお金を払って食事をし、そして、そこで残されたものを燃やすために多額の費用がかかり、加えて地球環境を蝕む要因になっているこの現状はなんとも皮肉なことだ。そう考えるようになった私は、アルバイトの場である行動をすることにした。
「きれいに食べてくださり、ありがとうございます。」
アルバイトの仕事内容に、店内を回り、お客様のもう使わない皿を回収して洗い場に渡すというものがある。回収する皿の中には焦げた肉が乗っているものもあれば、肉や野菜が残っているにも関わらず下げるようお願いされることもある。そこで私は、学生の団体で来店していた人の中で、茶碗をきれいに食べてくれた方にそう言ったのだ。別にそこの卓にご飯を残す人がいたわけではないが、その卓から回収される皿はほとんどがきれいにたいらげられたものだった。大袈裟かもしれないが、食料廃棄問題について一歩前進した気がした。心なしか隣の卓の皿も食べ残しが少なかった気がする。それから少しだけ、この声かけをすることにした。もちろん毎回この言葉によって食べ残しがなくなるわけではなかったが、幼児連れ家族の前でその声かけをすると、小さいお子さんは一所懸命に茶碗のご飯を食べてくれた。残さず食べるという当たり前の行為だが、その行為に対してお礼を言う。簡単な言葉だが、食材廃棄の減少にも繋がるし、こちらも快く接客をすることができる。まさに win-win の関係ではないか。
この経験を通して私が言いたいことは2つ。温暖化のような地球規模の大きな環境問題であっても、その一端は身近なところに転がっているということ。私たちが日頃感じている小さな違和感や疑問が、実は大きな問題へ繋がっているかもしれない。そしてもうひとつは、その問題を解決しうる策やヒントもまた、身近なところに転がっているかもしれないということだ。日頃当たり前のように見過ごしている光景の中にもきっとそんな小さくて大きな問題が潜んでいる。
これらのことは、私がアルバイトをしてみて初めて、気がついたことである。私一人が行動を変えたところでこの問題は解決しない。しかし、一人ひとりが行動しないことには解決しないのも事実だ。これから先、アルバイトとして働いていく中できっとまた、今回のような大きな問題に繋がることが見つかるであろう。そのときは、自分から行動するとともに、周りにも発信していこうと思う。