【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】

【テーマ:仕事を通じて、かなえたい夢】
笑顔の裏を知った時から
岡田電工株式会社 営業課  安 部 瑞 貴  25歳

夢なんてなかった。学生の時も社会人になっても、私はなりたいものなんて全くなかった。

ただ平然と時を過ごしてきた。就職も結婚も出産も、特に問題はなかった。これからもこんな感じで過ごしていくのか、なんて思ったりしていた。

母の言葉を聞くまでは・・・。

母は私が幼稚園の時に離婚し、今日まで女手一つで育ててくれた。母は面白い出来事を話すのが好きで、毎日のように和気あいあいと私に面白い体験を話してくれていた。話の中に仕事の弱音は全くなかった。私はそんな母にいつも甘えて、月に何回も小遣いをもらったり、作ってくれたご飯が好きじゃないからと残したり、とにかく迷惑をかけていた。それでもいつも笑顔でいる母を見ていた私は、大人になればみんな母のようになるのだろうと思っていた。

そして時は流れ、私もついに社会人になり仕事をするようになった。当時、特にやりたいこともなく、ただ有名な会社ということだけで今の会社に決め、就職した。アルバイトの時のようにお金を稼いでいくことしか考えていなかった私は、入社1年目で仕事のつらさを知った。面倒な書類の作成、ノルマ、残業、上司やお客様から怒られる日々が多く、いつしか笑うことも少なくなっていった。「こんな毎日で本当に幸せなのか?母はあんなに楽しそうに暮らしていたのに・・・。」と

何度も心の中で疑問に思うようになった。

そんな状況の中で、ある事件が起きた。一緒に暮らしていた妻と喧嘩し、妻が娘をつれて家を出て行ってしまったのだ。当時、仕事が忙しく、仲直りするため素直に謝ろうなんて考えられるほど心に余裕のなかった私は、その日以降ふてくされてしまい、母への態度もひどいものになっていた。そんな時、私の姿を見かねた母は私にこう言った。

「何があったかわからないけど、離婚だけはだめだよ。お母さんは瑞貴が小さい時に離婚したことをずっと後悔していた。やりたいことはできなかったし、お金もなかった。服は全ておばあちゃんからもらっていたし、ファンデーションだって30歳になるまで買えなかった。ほんとは化粧とかしたかったんだけどね。お母さんは瑞貴が選んだ人に同じような思いをさせてほしくないな。」

母の本音を聞けた。母がこんな思いでいたなんて知らなった。この言葉を聞いて、母が今まで笑顔の裏で相当我慢して、どれだけ苦労し生活をしてきたのかを初めて知った。それと同時に、私の心の中の何かが変わっていく感じがした。今までの私の考え方、母に対する数々の迷惑を反省する気持ち、母のこの一言によっていろんなことを考え、気付いたら涙がでていた。


働くということはお金を稼ぐということ。確かにそうかもしれない。けれど、母は違った。

私を守るため、私のために働いていたのだ。そのためなら苦労も我慢できる、母は会話の途中でそうも言っていた。働くということは、何かを守るため。私はそう考えるようになった。それと同時に初めて、なりたいものが見つかった気がした。

今の私は未熟で、どんな苦労も嫌な事もすべて我慢できる大人にはまだなっていない。だからこそ、母のように家族を守れる大人になりたいと思った。

今なら胸を張って言える。

“毎日笑顔の絶えない家庭 “それを実現してきた母のように、笑顔を引き出す大黒柱に、私はなりたい、と。

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