【 入 選 】
「命のやりとりなんだ!」
台本を持つ手が、緊張で震える。芝居と表現するのもおこがましい素人の発声は、第一線の業界人の目にはどのように映っているのだろう。自分でもいま何をしているのか、よくわかっていなかった。大学3年生の終わり。私は、大手声優事務所のオーディション会場にいた。
浪人を乗り越え、東大生という肩書きを手にしてから、早くも3年の月日が経とうとしていた。大学に入れば自ずと自分の進むべき道が拓けるとばかり考えていた私は、未だに自分がこの先何をして生きていくべきなのかがわからず、焦りを感じていた。
声優オーディションを見つけたのは、そんな時だった。
アニメが好きなだけの、演技経験など小学校の学習発表会くらいしかない一介の大学生には分不相応な、大手声優事務所のオーディション。しかし何の因果か、締切ギリギリに提出した手製のボイスサンプルとオーディション用の履歴書は、想像もつかない高倍率を潜り抜けて書類審査を通過し、私は実地オーディションへと歩を進めることとなった。
そしてこのオーディションが、私の人生の転換点となる。
衝撃だった。
オーディション会場に集った受験者全員の芝居に、私は震えた。
それは、彼らの芝居が上手かったからではない。
声優になるために、人生を賭して今この瞬間を必死に生き抜くその姿が、あまりに眩しく映ったからだ。
東京大学に入学した私は、知らず知らずのうちに「東大生ならばこうあるべきだ」という固定観念に囚われるようになっていたのだと思う。
秋田の田舎の出で、周囲の期待を背負うようになった。商社マンや官僚になる先輩を見て、東大生らしい進路に固執するようになった。理系として勉強してきた時間を無駄にはできないと、バックグラウンドに拘泥するようになった。
裏切りたくないもの、手放したくないもの。色々なことが積もり積もって、いつしか私は、本当になりたい自分よりも、ならなければいけない自分を探し求めるようになっていた。そして、自分が本当にやりたいことと向き合うひたむきさを、熱量を亡失してしまっていたのだ。
彼らには、その熱量があった。
本気で声優を目指しているのだということが、今まさに、自分の将来を賭けた乾坤一擲の勝負の場にいるのだということが、芝居からひしひしと伝わってきた。
そして私は、その姿を「美しい」と思った。
想いの実現のために生きる人間の姿は、これほど美しく輝くものなのかと、私は衝撃を受けたのだ。
オーディション翌日の朝。私の元に届いたメールは不合格通知だった。
私は、声優としてこれ以上先に進むことはできなかった。
でも、それで良かった。
このオーディションが、彼らの熱量が、気づかせてくれたから。
自分自身ですら見失っていた、自分の本当の想いを。
自分がなりたい自分は、自分がなるべき自分とは必ずしも一致しない。
でも、オーディション会場にいた彼らの姿を見て、私もこの熱量が持てる「美しい」人間でありたいと、強く思った。
そしてそれを実現できるのは、世間体や保身に囚われて、消去法で残った選択肢じゃない。
自分の想いに素直に、そして超然として導き出した自分だけの解答だと気づかされたのだ。
あれから2年。
大学院に進学した私は、この春、就職活動を行った。そしてありがたいことに、志望していた企業から無事内定を頂き、来年からは業界人として、大好きなアニメに携わっていけることになった。
周囲の期待とは違っていたかもしれない。理系としての経歴は活かせないかもしれない。
でも、私にはこの仕事でしか叶えられない、大切な夢がある。
アニメはオタクのものという固定観念を打ち破り、アニメ文化をサブカルチャーからメインカルチャーへと昇華させること。
そしていつの日か、あの日のオーディション会場にいた人たちと一緒に、あの日見た輝きの向こう側で、最高のアニメを作り上げること。
それが、私が仕事を通じて叶えたい夢だ。