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【テーマ:仕事探しを通じて気づいたこと】
仕事に貴賎は無い
北海道  前 嶌  卓  35歳

仕事を探す間、生活費を稼ぐためにアルバイトに精を出した。あくまで正社員の職にありつくまでの間の生活をつなぐためのものだった。つまり、探している「仕事」とは「正規雇用の仕事」なのであって、決して「非正規雇用の仕事」ではなかった。非正規雇用の仕事に対しては、良い印象を持てなかった。責任の軽い、スキルの身に付かない仕事だという認識があった。誰でもできる、簡単な、楽な、等の言葉で形容されることの多い、主たる生活が学生や家庭を守る人でない限り、あまり長期的に就くのが憚られる、そんな仕事だと思っていた。

確かに、工場でのライン作業は、簡単な作業を淡々とこなすだけで、面白味が無いのはもちろん、スキルに至っては何も身に付いている気がしなかった。ハムを一枚一枚パン生地に載せたり、決められた個数を網の上に載せたりしているうちに夜が明けていた。長く続けても給料は一円も上がらない。何らかの理由で、いつか突然切られるかもしれない。「もっとちゃんとした仕事に就きなよ」なんて知人に言われたこともある。「ちゃんとした」って一体何なんだ。許せなかった。彼は正社員だった。彼に言わせれば、仕事を上と下に分けたら、僕の仕事は間違いなく下なのだろう。それも、最底辺に違いない。

しかし、工場のライン作業は、慢性的に人出不足だったので、とても必要とされていたし、簡単な仕事とはいえ、人の口に入るものを扱うわけで、僕はもちろん、みんな真剣に仕事をこなしていた。誰一人、手抜きはなかったと断言できる。僕と同じアルバイト契約の身で、結婚して家族を養っている人も一人や二人ではなかった。それに、みんなよくしてくれた。

その工場以外にも、セルフのガソリンスタンドの夜勤や、警備員や自動車のライン作業など、世間からは低く見られがちなアルバイトを転々としたが、簡単な仕事とは言い切れない部分が多々あった。守秘義務があるので書けないが、身体を壊しそうになったり、危険な目に遭ったり、恫喝されたり、常に緊迫感と共にあった。また、ここでも、同僚で誰一人として手を抜いて作業をしている者はいなかった。

一つだけ確かなのは、どんな仕事であれ、そこに貴賎は無いということだ。周りの人間や社会が低く扱うことがあったとしたら、それは間違いなのだ。給料が高いから、専門技術が必要だから、大きな会社だから、人の命を扱うから、そういう仕事の方が重い、貴い、と考えるのは、間違いだと思う。どんな仕事も、仕事である以上、真剣な取り組みが存在するし、誰が欠けても全体の仕事が滞る。誰かが手を抜けばどこかに皺寄せが行く。そこには正規、非正規等の契約の違いは関係ない。

もちろん、現在の日本の雇用情勢等を考えた時に、長く非正規雇用を続けることはお勧めしない。ただ、それはあくまで、一部の例外を除いては経済的に劣悪な地位に甘んじる可能性が高いからであって、仕事の善し悪しで言うのではない。あくまで、どんな仕事であれ、誇りを持って取り組む値打ちはあるのだ。

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