【 佳 作 】
4人姉妹、6人家族。これを束ねるのが私のお母さんだ。
専業主婦として長らく家にいたお母さんが最近美容師として仕事を復帰した。
約20年ぶりの復帰、長い年月の間ハサミを触っていなかったお母さんだが、とてもやる気に満ちていた。
小さい頃からお母さんの「髪を切るのが大好きだ」という言葉を聞くと少し胸が苦しくなった。「私のせいで美容師をやめたのではないか」と。
お母さんが私を産んだのは23才の時、ちょうどスタイリストとしてデビューできるかもしれないという、美容師としては波に乗ってきた頃だった。
しかし、立ち仕事である美容師は流産の確率が上がるから、と美容師という大好きな仕事を一度やめてしまったのだ。
なので、「美容師を復帰する」と言われた時、心の底から応援しよう、と思った。
それと同時に、私もワクワクしていた。
実際、小さいころから髪を切ってもらったりしていたが、お母さんが「美容師」として働く姿を見るのは、これが初めてだったからだ。
その後のお母さんの頑張りはすごかった。4人の子供がいるだけでも何かと大変なのに、家事をこなした後にカットの練習を毎日していた。
ある日、髪を切りにお母さんの美容室に行った。そこには懸命に、そして「美容師」という好きな仕事を楽しみながらするお母さんがいた。家ではなく、美容室で髪を切っているお母さんを見るのは新鮮で、それだけでかっこよく見えたのだ。
ある時、母は「やりたいことは、ずっとやりたいと思っているとチャンスが来るんだよ。だから、今は子育てが1番大事だけれど、ずっと美容師をやりたいと思っていればいつかできる。」と言っていた。
美容師という「好きな仕事」に復帰したお母さんの後ろ姿を見ると、本当にそうだなと思った。
これがきっかけで、私は現在の大学に進学した。それは「本当に私が好きなこと、やりたいことって何だろう」と考え、悩んだ結果だった。
現在は、ずっと好きだった「企画」を学ぶため、毎日仙台から2時間ほどの時間をかけ、山形の大学へ通学している。それだけの時間をかけてでも、自分の好きなことを学び、好きな仕事に就きたいと思ったからだ。
今では、「私のせいで美容師をやめたのではないか」という後ろめたさはない。
それ以上に、仕事を辞めるという決断ができたのは、「何年後になっても好きな仕事である美容師を続けるんだ」という当時20代だったお母さんの強い思いがそうさせたのではないかと思っている。
近年、女性の社会進出が進み、仕事と家事の両方を受け持つ女性が多くなった。
つまり、女性にとっても「働くこと」は一生ついて回ることに変化したのだ。
しかし、「家事」と「仕事」の二足の草鞋を履いて生きることは並大抵のことではない。
そんな中で、「自分が愛着をもてる仕事」を選ぶことはとても重要だと思う。
「好きなことを仕事にしないほうが良い」なんて言う人もいるが、私は絶対に自分の好きなこと、愛着を持てることを仕事にしたい。
だって、仕事はずっと寄り添う人生のパートナーであり、共に生きていくものだから。