【 佳   作 】

【テーマ:仕事探しを通じて気づいたこと】
働くこと、生きること
埼玉県  瀬 上 拡 史  24歳

私は現在24歳の大学院生であり、マイクロファイナンスという、少額の融資を貧困者に提供することで経済状況の改善を実現する手法の先進国における適用に関する研究をし、大学院修了後は貧困者の生活状況の改善に貢献することのできる職に就く予定である。

2017年の1年間ほど、国際医療NGOペシャワール会で勤務をした経験が私の「仕事観」に大きな変化をもたらした。アフガニスタンでは、地球温暖化により旱魃が農村を砂漠と化し、農民たちは職を失い、貧困と病に喘ぐ殺伐とした状況が広がる。ペシャワール会は、ただ平穏な生活を望む農民や難民が、もう一度生きる手段であり生き甲斐でもある農業を、愛する家族と共に営むことができるように灌漑用水路を建設し、緑と潤いを取り戻すために力を尽くす中村哲医師の活動を日本から支える基金団体である。

本部事務局の上司であった女性を私は今でも尊敬する。共に働いた経験は私の「仕事観」、引いては「人生観」を変えた。「働くことは、生きること」そのものであると痛感した。彼女と共に現地農民の平和な生活のために働いた経験を紹介したい。

中村哲医師がアフガニスタンで現地農民の豊かな生活のため用水路建設を進める中、彼女も現地で20数年間、命の危険と常に隣り合わせで、医療が行き届かぬ無医地区での医療事業をし、現地労働者との井戸掘削事業、灌漑用水路建設事業等をともにし、数年前に日本に帰国し、現在日本で中村医師の活動を支えている。アフガニスタンから遠く離れる日本においても、精神的には中村医師と最も近い距離で事業を支えている。

朝、事務局に到着すると、必ず彼女は事務局におり、現地語のパシュトゥ語や英語の書類を前にして現地の報告を分析し、各種国際機関との会議の調整など含め仕事をしていた。当時は書籍発刊に向けた原稿校正と翻訳業務が中心であり、時に原稿内のただ一つの文章に関して、現地を知り抜く彼女を中心に数時間の議論を重ね、気づけば日を跨いでいることもあった。現地の実情を知りえぬ読者の方々に、現地の人々の生活をより豊かにしたいという中村医師の想いと、その手段として確立した灌漑技術が最もよく伝わる一冊にしたいという情熱は規定の業務時間という概念を形骸化させていた。

アフガニスタンの人々との電話会議の際、事業の進展と困難を真摯に伺い、弛まぬ改善を重ねようと努力する彼女には、勤務時間は19時まで、休憩時間一時間等々の形式的な労働の条件は必要ではなかったのだろうか。無論、休日返上で仕事することそのものが美徳だと主張したいのではない。彼女の仕事への情熱、中村医師とアフガンの人々のために生きるという目的意識、自らの為す仕事への矜持を私は心から美しいと感じたのである。彼女は現地で用水路建設が数メートル進んだという事実に大きな喜びを、中村先生の安全と健康に安堵感を感じていた。常に訪れる現地での予期しえぬ出来事が日本の事務所にもたらす驚きと苦悩を敢然と乗り越えていた。仕事は、生きることと同義であり、生きるための手段というよりむしろ、生きる目的そのものであると認識する。彼女にとっての「仕事」は、私の今後見つけるべき「仕事」であるに違いない。

私は学生時代にフィリピンのスラム街で現地女性たちとボランティアをし、留学先の米国、日本でも路上生活者への食糧支援や職業訓練をしてきた。私にできることは少なく、無力感を感じることばかりである。しかし、私の微小な支援を必要とする人々が少なからず存在しているという事実に直面し、貧困者の生活状況の改善の手伝いをし、彼ら彼女らと豊かさへの道を共に歩み、喜びを共有することこそが私を幸福にするものである。ペシャワール会に今も生きる彼女を想起し、改めて感謝の意と敬意を表したい。そして私の「仕事」は貧困問題改善のためにあることを確認し、このエッセイを自身への戒めとし、生きていきたいと思う。

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