【 佳   作 】

【テーマ:仕事を通じて、かなえたい夢】
「憧れ」のある社会へ
神奈川県  渡 部 駿 平  29歳

ぼくはいま、働くことができている。そしてそのことを、たまたま運が良かったのだ、と思うようになった。

ぼくはこの四月から、困難を抱えた若者やその家族を支援する仕事に、縁があって就いている。社会にうまく溶け込めない若者の生活について、未来について、本人やご家族と一緒に、ああでもないこうでもないと考える仕事だ。この仕事を始めてから、これまで以上に考えることが多くなった。ぼくと、目の前にいるこのひとたちはどう違うのか。そんなことをずっと考えるようになった。

運が良かった、というのは、その中で考えたことの一つだ。ぼくは、働くことができている。でも、ぼくはあのひとたちと何が違うのか。そんなに違わないのではないか。もしそうだとしたら、ぼくがいま働くことができているのはたまたまなのかもしれない。少なくともぼくには、自分と彼ら彼女らを分けるはっきりとした何かを見出すことは未だにできていない。

ぼくは、ずっと仕事のことがコンプレックスだった。そしてそのもっと奥には、家族に対する複雑な気持ちや劣等感があったはずだ。いまは自分の中でだいぶ整理ができていて、家族に対する感謝もあるし、家族だからうまくいく、家族だから仲良くなれるはず、ということについては「そんなことないよ」と、諦めとはまったく違うトーンで言うことができる。

家族の中で、ずっと自分が生きやすかったわけではない。親に対してすごく期待していたこともあったし、きょうだいに対しても「ずるい」という気持ちや「自分もあんなふうになりたかった」という気持ちもあった。そんな思いを20代前半くらいまで引きずり、その結果、社会に出るのが怖くなっていた。

社会に出て自分が否定されるのが怖かったし、そういう弱い自分を家族はもちろん、友人にも知られたくはなかった。自分を受け入れることができず、仕事を心から楽しむこともできず、続かなかった。大学を卒業してからいままでの5、6年ほどで、就いてきた仕事は5つだ。

そんなぼくが、ぼくと同世代や10も違わないくらいの年齢の若者たちの相談に乗る、ということをしている。自分のことを言われているような気分になったことは、何度もある。そこで、冒頭のことを考えるようになったのだ。なぜぼくが相談される側で、彼らが相談している側なのか。ぼくはいまの仕事のことを楽しいと思えているが、それもたまたまだ。たまたま見た求人に、自信もないので気持ち半ばで応募したら、たまたま採用してもらえた。自分がこんなところに入っていいんだろうか。そう思うくらい、それまでのぼくの身の丈に合わない、と思った。

ぼくと、彼らの違いについて考えるようになった。そして、現時点での結論。たぶん、ぼくは社会で生きることに憧れていた。ひとと関わることについてはすごく興味があったし、ぼくは大学時代からずっとそのことに救われてきたのだとも思う。ひとと関わって生きていくためには、自分が好かれる人間、受け入れてもらえる人間でないとダメだと思った。がんばろう、と思った。

そう思えていない(としても)彼ら自身が悪いわけではまったくない。ただただ、彼らは憧れを持てなかった存在なのではないかと考えるようになった。家族からの無関心にさらされ、家族以外で頼れる存在に出会うことも少ない中でこれまで生きてきた。こんなふうに生きていきたい、あんなひとになりたい、そう思えていないのではないかと思うようになった。

だからぼくはいま、憧れをつくる、ということを密かにテーマにしている。いろんな会話をすることや、いろんな文化体験に触れていくこと、「何だか楽しそうなヒト、コト」に出会うことが、この社会で生きていこうという憧れにつながっていくのではないかと思っている。その憧れがあれば、何歳からでも人生を始めることはできると、そう信じている。ぼくがたまたま就けた仕事は、そのための仕掛けづくりの仕事だ。

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