【 佳   作 】

【テーマ:現場からのチャレンジと提言】
一員になりたい 〜適切な配慮と正しい理解を求めて〜
滋賀県小学校教諭  ぶ ひ  31歳

私は子どもの教育に関わる仕事をして、8年目仕事が本当に好きで楽しく、自分の生きがいになっていた。今の教育現場では、家庭の複雑な事情や持って生まれた障害などから、悩んだりしんどくなったりしている子どもが多く、そんな子どもの側にいたい、クラスの中心に置きたいということが何年目から私の目標になっていた。

そんな私がマイノリティーとして配慮を要する側になって丁度一年がたつ。数ヶ月に及ぶ体調不良で何軒もの病院を回った結果、国の指定難病であるとわかった。有難いことに、体調不良はあるが、見た目は大きく以前と変わりなく、周りの理解と配慮があれば社会復帰もできると医者や保健師さんの後押しもあり、職員へのカミングアウトと共に現場へ戻ることに決めた。冷たい反応だったらどうしようと不安を抱きながらも、きっと受け入れてくれるはずと、心のどこかで期待していた。

カミングアウトの瞬間は拍手で迎えられ、受け入れてもらえたかのように思えた。しかし実際の生活で自分にかけられる言葉は、期待とは程遠いものだった。

「もらい手おらんな。来年度の勤務より永久就職を心配した方がいいぞ」

「お前が休んでくれる方がみんなのためや」

「みんな、あなたのわがままに振り回されてるの」

「勤務地の異動?お前の書類は、こういう病気になりましたって残る。それ見て、誰が欲しいと思う?」

「診断や手帳が出たなら、僕らとは違う部類の人間ですね」

こんなに合理的配慮だとか心のバリアフリーだとかが大きく取り上げられる時代になっても、ましてや、教育に携わっている現場でもいまだにこれが現実なのかと驚いた。

相談した同僚からは「本気でいじめようと思って、言ってる訳じゃないって」「悪気はないんやから」「そんなこと気にしんとき」と言われた。「これから、あんたはそんな社会の中で生きていかなあかんのやから、強くならな」とも言われた。

「気にしんとき」、その慰めの言葉でさえも、私の心で鉛となって蓄積されていった。「そんなこと」を気にしてしまう私が変なの?笑って流せない私の心が狭いの?私がもっと優しくなって、笑って許せたらそれでいいの?沢山たくさん考えた。考えているうちに、心ない発言をした人だけでなく、周りの人のことまでイヤになり出した。味方が誰もいないと感じた。仕事へいけなくなった。

「悪気がない」で許してもらえるなら、私だって許してほしい。私も悪気があって、こうなったわけじゃない。周りに迷惑をかけていることなんて、自分が一番よく知っている。「そんなこと」で腹を立てていたら、みんなが関わりづらくなることも、よくよく分かる。でも、みんなにとっての「そんなこと」で私は深く傷ついてしまう。

私も、自分ごとになるまで気にもとめなかったことが沢山あった。ヘルプマークや思いやりスペースは、こうなって初めて知った。今まで思いやりスペースに元気そうに見える人の車が止めていたり、コンビニの身障者用駐車場でたむろしていたりする人を見ても、こんなに大きな憤りは感じなかった。自分の周りの人全てが、意地悪だ、理解がないと思っている訳でもない。しかし、まだ過去の私のように他人事として「わかっているつもり」、「理解しているつもり」の人が多い世の中なのだろう。だからこそ、自分の事として考えてほしい。「ほっておき」と、傍観者にならないでほしい。「気にしんとき」と、事なかれ主義にならないでほしい。おかしいことは、おかしいと思ってほしい。「こんな社会」と諦めるのではなく、耐えている者に我慢を強いるのではなく、今のままではいけないと気づいてくれるなら、一緒に変えていこうと思ってほしい。

仕事を辞めようか心療内科の先生や保健師さんと何度も相談を重ねた。自分が辞めることも何度も考えたが、マイノリティーの一員として配慮を要する者でも堂々と働ける社会を作る為に働き続けたいと思った。障がい者等のマイノリティーの雇用は進んでいるように見えて、実態はまだまだ厳しく、正しく理解されたり本当の合理的な配慮を得られたりすることも難しい。職員の研修を行ったり、調整の話し合いを重ねたりしながら正しい理解、合理的な配慮、そして同僚からの応援を受けられるような働く場になってほしいと願う。私達も働きたい。社会に出たい。社会の一員になりたい。そんな働く場を目指して私も頑張っていく。

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