【 佳 作 】
「ママと一緒にねんねしたいよ。」
娘は就寝時、いつもそう呟いていた。
「大丈夫だよ」と一言伝えて、寝かしつける日々。
それは梅の花が咲き誇る頃から、桜の花がとうに散り葉桜となる季節まで。
妻不在の父子生活は、約2ヶ月もの間続いた。
遡ること今年の3月。専業主婦の妻、2歳の娘、父親である自分。
そんな我が家にその時は唐突に訪れた。
妻が鬱病で入院することになったのだ。
仕事は繁忙期を迎えていた。だが子どもは未就園児。
事情があり親族には託せず、自分が見るより他になかった。
妻の入院と看病、そして育児のために、上司に頭を下げて休みを申し出た。
幸いにして休職の許可がおり、そこから父子2人の生活は始まった。
だがそれは、出口の見えない暗闇のトンネルの始まりでもあった。
妻はまた元気に回復するのだろうか。
保育園入園は無事決まるのだろうか。
仕事にはいつ復帰できるのだろうか。
果たして、子どもは大丈夫だろうか。
孤独なワンオペ育児の中、押し寄せる不安の波は途絶えることがなかった。
気づけば自分にも不眠や倦怠感が現れ、心身共に限界まで追い込まれていた。
だが倒れるわけにはいかない。
家族を守ることができるのは自分しかいなかったからだ。
娘に寂しい思いをさせまい一心で日々を乗り切っていた。
そして気づけば新緑の季節が訪れていた。
娘は保育園が決定し、妻も退院。
自分の仕事復帰の目処も立った。
それは時にして5月半ば。その頃になりようやく、我が家にとっての令和の道は開き始めた。
妻の入院を機に、働くってなんだろう、と本気で考えさせられた。
家族を養うために働いてきた自分だが、当時は家族を救うために働かない道を選んだ。
どうしても難しい場合は娘を施設に預ける道もあったが、それだけは選びたくなかった。
自分にとって大切なのは、あくまでも仕事より家族だったからだ。
そして今は無事復職を果たし、以前と同じく家族3人で時を共に過ごしている。
それは当たり前のようで、当たり前ではなかった日常。
悩み苦しんだ時を経て、家族で健康に過ごせることがいかに幸せなのかを感じさせられた。
そしてもう一つ気づいたことがある。
家族を支えるために働いてきた自分だが、そんな自分自身もまた仕事に支えてもらっていた、ということだ。
突如仕事を休むことになったその喪失感は、休める安堵よりも遥かに大きかった。
過労問題が問われるご時世だが、仕事をできることへの感謝もまた確かに感じられた。
給料をもらえる嬉しさ、キャリアを積み重ねていくことで生まれる自信、新たな目標。
そんなことを考えて初心に戻ることができ、今の仕事が好きなのだと改めて気づかされた。
仕事よりも家族と述べたが、仕事も自分の自己実現に欠かせない、大切なものだったのだ。
仕事と家庭を両立させること。それは決して簡単なことではない。
だが、その両輪が足並みを揃えた時にこそ、大きな至福を感じられると、今だからこそ思う。
今日も一日仕事に励み、帰路に着く。
玄関のドアを開けると、娘が部屋の奥から走ってきてこう告げる。
「パパ、おかえり!一緒に遊ぼう」
家族3人で夕食を食べ、就寝前までのひと時を共に過ごし、灯りを消して3人で床に就く。
「パパ、ママ、今日も一緒にねんねしよう。また明日ね、おやすみ。」
それは当たり前の光景かもしれない。だが我が家にとっては、暗闇のトンネルをくぐり抜け、ようや
く辿り着いた先に見えた景色。そんな日常を眺めながら、心からこう思う。
あぁ、これこそが幸せなのだ、と。
きっとこの先も幾度となく辛い時期は訪れるだろう。
だが、それを乗り越えた先に得られる幸せも確かにある。
家族、そしてこの令和時代を生きる多くの人が、日常に幸せを感じられるように導くこと。
それが、対人援助職に携わる自分自身の叶えたい夢だ。
暗闇の中を燦々と照らし、そして自らもまた幸せを感じられる存在となるために。
新時代令和の道のりを、一歩ずつ歩んでいきたい。