【 佳 作 】
私は働くということを、社会人になって実際に仕事をするまで考えたことがなかった。
「働く」とはそもそもどういう意味なのかと思い、調べてみると「目的にかなう結果を生ずる行為・作用をする。仕事をする。」と書いてあった。学生の頃は「働く」とは、生きる為だと思っていた。働けばお金が貰え、そのお金で食べ物を買い、それを食べ生活することができる。「働くこと = 生きる」と自分の中でイメージがあり、働かなければ生きられないから働くということが当たり前で、絶対に働かなければならないと思っていた。
では、生きる為に働く必要がなくなったらどうだろうとふと疑問に思った。世の中、お金のため(生きるため)に働く人がほとんどだと思う。現在では、働かなくてもどうにか生きていけそうな気がする。働く必要がなくなったら、多くの人が仕事を辞めると思う。朝早くに出勤して、夜遅くまで仕事をして帰宅する。それを5日間続け、休みの日が終わればまた仕事が始まる。そんなマンネリ化した生活を捨て、好きなように生きていけることができれば、確実に働く人は減るだろう。よくニュースで見たり聞いたりする、過労死やパワハラなどの問題もなくなるだろう。
しかし、もしこのような非現実的なことが起きても、働き続ける人はきっといると思う。それは、今でも一生遊んでいけるお金がありながら働いている人たちだ。その人たちの「働く」と私の「働く」は全くの別物ではないだろうか。私は給料を貰うと、たくさんの服や物を買い、形あるものに多くのお金を使っている。その形ある物は、私が死んだ時には一緒に無くなっていくだろう。いつかは人々の記憶からも私の存在は消えていき、残るものは何もない。
人生の大半を占める「働く」ということ。生きる為に働いていても何も残らない。働き続ける人は、自分の為でなく誰かのために働いている気がする。三浦綾子さんの「氷点」の小説に「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。」と書かれていた。集めたものはいずれ消えるが、与えたものは消えないのだと考えるようになった。漠然としているが世界の偉人も、人々に何かを与えてるイメージがある。物ではなく、言葉だったり行動だったりと形にないものを残している。
これから私は、単にお金を稼ぐだけでなく、何かに少しでも貢献していきたいと思っている。実際には貢献できないかもしれない。しかし、その態度は人に伝わり、「与える」ということになると思う。うまく表現できないが、「働く」という意味を考えた時「働く = 与える」と今は考えている。この先何十年も働くことになる。その中で、何かを残せる人になりたいという気持ちが強くなった。家族や友達、会社だったりとたくさんの人に何かを与え、それが恩返しになればいいと思う。その為に、誰かに大切なことを伝える努力をしていこうと思う。