【 佳 作 】
田舎は時給が安い。
私が高校生の当時は、時給620円でコンビニエンスストアのアルバイトをしていた。
高校一年生のとき、部活や勉強もせずだらだらと過ごす毎日に、自分でもまずいと感じていた。
なにもしていないのでもちろんのこと、部活やテストで結果を残せないため、誰にも評価されることはない。
どんどん成績も下がり、落ちこぼれになっていくのに、時間はそうかからなかった。
そこで、私は頑張った分だけお金という形になる「仕事」という分野に目をつけた。
私の高校でアルバイトをしている人は少なく、何か明確な目的がなければしてはいけないことになっていた。
先生には「高校を卒業したら車の免許を取るため」などと言って、説得した覚えがある。
あまり納得はされなかったが、なにも頑張らないよりはいいと判断したのか、意外とすんなり許可がおりた。
しかし、いざ働こうとしたら、まずは何をすればいいかわからない。
当時はまだ、携帯電話も今より便利ではなく、情報を手に入れるのには苦労する時代だった。
そこで私は、お店を片っ端から訪問することにした。
ドーナツ屋や弁当屋に「働かせてください」と直談判しに行ったのだ。
今思い出すと、顔から火が出るほど恥ずかしく、非常識だったと思う。
若い勢いと、「働いてみたい」という熱意だけが私を動かしていた。
だいたいの企業は「求人はない」と断られてしまった。
しかし、あるコンビニエンスストアで「アルバイト希望の方ですね!」と、笑顔で応対してくれた年配の女性がいた。
この方は後々、大変お世話になるベテランのパートさんなのだが、運よくその方に対応していただいたことで、私は面接をする約束にまで至ったのだ。
後日、若い女性店長と、店舗にて面接が行われた。
商品のストックや働く人の休憩室にもなっているバックヤードと呼ばれる場所で、人生初の面接をしたが、話す内容など一つも考えていかなかった。
名前と年齢くらいの自己紹介をすればいいのかな、くらいの軽い気持ちで臨んだら、案の面接はボロボロだった。
自分の長所や短所、自己PRなど意外としっかりと聞かれた。
そしてもちろん聞かれた志望動機では「何かを頑張りたいんです!」とだけ懸命に伝えた。
面接の帰りは「不合格だろう」と落ち込んで帰ったことを覚えている。
しかし、数日後店長から電話が来て「採用です」と言われて驚いた。
「仕事」を得たことで、始める前から浮かれた。
こうして喜んで初日を迎えたのだが、初日は散々だった。
家では、母の作ったご飯を食べ、掃除洗濯すべて任せっきりだった私は、トイレ掃除さえまともにできなかった。
それに、すごく時間がかかり、一日目から落ち込んで泣きそうになってしまった。
そんな私に店長は声をかけてくれた。
「あなたを採用したのは、頑張ってくれると確信したからです。あなたは今ほかの人より技術はないけれど、笑顔と元気だけは新人でも一番になれるんですよ」と教えてくれたのだ。
私は少し、大人の仲間入りになった気がした。
そこから、私はメモ魔になりなんでもメモをした。
ベテランのパートさんにもどんどん質問をした。
そして1年たったころ、店の装飾を任されたり、新商品のセールストークを考えたりする役割をもらえた。
一度学校の先生が店に来た時
「なんだ、学校より輝いてるじゃないか」と言われたことは、嫌みも含まれていたかもしれないが、嬉しかった。
一人一人の頑張りが、正当に評価されるいい職場で、新商品の売り上げが県内で一位になれたのも、チームの力が強かったからだと思う。
時給は620円。
それでも私はそれ以上の価値がそこにはあったと、はっきり言える。
大人になり就職した後でも、初めて働いた場所が、あのコンビニエンスストアでよかったと思える。
「笑顔と元気だけは新人でも一番になれる」
その言葉は、どこに行ってもどのようなときにでも通用する、私の礎となっているのだ。