【 奨 励 賞 】
仕事探しは、自分探しの道のりの一部だと思う。人生、100年時代になったといわれる昨今また、ジェンダーに左右されない考え方が浸透してきている今日は、仕事の人生に占める割合は、ますます大きなものとなっているだろう。30歳違いの母には、私以上にそう考えるという。母は、私に自分の好きなことを仕事にしてほしいと常日頃から言っていた。私は高校2年生になるまで自分の好きなことがよくわからなかった。今思えば、自分に自信のあるものがなかったからだと思う。そんな私は、はじめて得意な教科ができた。今まで学校のテストなんて前日にどれだけ勉強したかで結果が変わり、模試なんて適当に何となく、その時の運で選択肢を選んでいた。だから好きな教科を聞かれても「この前(たまたま)できたから国語かな」のような感じだった。そんな私が得意になれた教科とは化学である。
高校からの専門的な化学で、数学が大の苦手な私は見事にこけた。前日の暗記で一応どうにかなっていた中学時代の化学とは、全く違ったのだ。テスト前日は試験範囲の紙を見るだけで絶望を感じて終わった。結果は、大失敗。
2回目のテスト。前回、大失敗したこともありどうにかしようとは思っていたがテストの直前まで動かなかった。テスト前日、私は父に今の危機的状況を伝えた。父はギリギリになって頼ってきた私に半ばあきれていたが、それでも少しでもどうにかなるようにと教えてくれた。一夜漬けのテストの惨めな結果を見て、初めてもっといい点数をとりたいと思った。力を貸してくれた父に対しての申し訳なさもあったのかもしれないが、初めての感情だった。
そのテスト後、授業の度に父と復習した。どこからこの数は出てくるのか、そもそもこの単語は何なのかとどんな小さなことでも親身になって遅くまで教えてくれた。時には、聞いている側にも関わらず眠くなったりしたりしても嫌な顔せず付き合ってくれた。そして、はじめてやればできると手ごたえを感じ、テストでどんどん点数を伸ばすことができた。そしてそのたびに父は喜んでくれた。
ある日、化学の先生が私の解答をみて「あやのさんすごいね」とほめて下さった。その先生は去年から教えてもらっていたので成績がひどかったことももちろん知っていた。さらに、この頃成績が伸びつつあることにも気づいてくれていたのだ。その日を境に、父はもちろん先生にもほめられるということがうれしくなり、それを励みに勉強するということにいつの間にかなっていた。
その数日後、私がそんな気持ちで勉強をしていると伝え聞いた化学の先生が、嬉しさのあまりその私のうった文章をわざわざご自分の手帳に挟んで大切にしているということを知りうれしかった。ただ、うれしさももちろんあったが成績がさがってはいけないという謎の責任感も生まれた。
私の頑張りを父や先生方が喜んでくれる。仕事探し。それは、自分さがし。部活帰りに立ち寄る図書室。この図書室は、科学館に併設されているのだが、この科学館に小さな子供たちが笑顔で来館している。勉強とは苦しいものではなくてわかると楽しいものそしてもっと知りたくなるもの。この科学館に来館する子供たちのように、私の化学の知識が誰かを笑顔にできることが仕事となれれば、今からの人生100年時代もより輝いて自分のらしく過ごせそうだ。当たり前だが、その道のりはまだまだだ。これからますます頑張るつもりだ。