【 奨 励 賞 】
私は小さい頃、新聞記者に憧れていた。親戚にも身の回りにも新聞記者をやっている人は誰一人としていない。しかし私は新聞記者をスーパーマンか何かの様に思えてならなかった。遠く離れた場所で起こった出来事を文字という媒体を通じて目の前に現前させる仕事、こんな仕事をしてみたいと心から願った。
私が中学2年生の時に東日本大震災が起こった。当時静岡に住んでいた私は、遠く東北地方で起きた地震の光景をテレビ越しにリアルタイムに目にした。約350キロも離れた場所で沸き起こった人々の感情がテレビ画面越しになだれ込んできた。見知らぬ場所で見知らぬ人が命を落とし、涙を流し、そして助け合う情景は私だけでなく、日本中、又は世界中の人々に、どれほどの悲しみや恐怖をもたらしたのだろう。マスメディアは無機質な文字だけでなく、有機的な感情すらも媒介して見せたのである。
そんな私は今、中国の南京大学で本科生として勉強をしている。人は言う、なぜ日本人が南京で勉強をしようと思ったのかと。もちろん私だって南京と日本人の間にある暗い歴史は知っているし、ここに来てこの歴史問題の深刻さは痛いほど感じ得る。実際に多くの中国人は私が日本人だと知ると南京事件について聞いてくる。確かに日本人は南京では肩身が狭い、しかし同時に私が日本人だからと気を使ってくれる人もいる。どうせ過去の事だからと言ってくれる友達がいる。私はこんな南京が大好きである。
しかし中国に対する日本人の印象はどうだろうか。さらにそれが南京となると、行きたいと答える日本人は少ないのではないだろうか。私も中国が安全な国だと断言することはできない。確かにここには不確定な事柄が存在する。しかし南京にも日本が好きだと言ってくれる人々がいる。そして六朝時代の首都としての歴史が、文化がここにはある。私は南京がとても魅力的な場所だと知っている、だからこそ今この現状に対してもどかしさを感じる。
私がこの現状を見てもどかしさを感じる理由、それはメディアの限界を目の当たりにしたからである。数年前に映像を通じ東北の人々の感情を媒介してみせたあのマスメディア、それが南京に関することに関しては全くもって効力を発揮していない。南京だけではない、中国に関する報道についてもそうである。東日本大震災の際は画面越しで東北の人々の恐怖や悲しみが日本中に共有された。メディアは感情を媒介したのである。しかし現在、日本国内で報道される中国には誰一人として共感する者はいない。感情は媒介されていないのである。しかしこれは決してメディアが悪いという意味ではない。私はこれはメディアの限界なのだと思う。
中国と日本という異なる国、その間に存在する差異を理解していないと中国に対して共感することは難しい。現状のマスメディアでは、我々はこの異文化間の差異を克服することが出来ない。故に日本人はメディアを通じても中国に共感することができず、日本国内にも中国に対して嫌悪感を持つ人々が存在する。
だからこそ異文化間の差異をも克服する新しい形のメディアが必要である。既存のメディアに取って代わり得る、異文化間の差異をより体感しうるメディア。私はそれは「観光業」だと思う。離れた場所での出来事を視聴者へ伝えるものがメディアだとするならば、視聴者を直接現地へ連れてゆく観光業こそが最強のメディアである。これまで新聞やテレビが伝えられなかった視覚以外の情報が、観光業というメディアでは直接体の中になだれ込んでくる。観光業は人々と異文化を直接的に結び付けることができるのである。私は、観光業とメディア産業を統合した、「観光業という名のメディア」を用いてこの南京を世界中に発信していきたい。異文化理解というメディアの弱点を、観光業を用いて克服していきたい。それが私が叶えたい夢である。